「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

育てているのは本当に自己肯定感ですか?1

自己肯定感と自己効力感(自己効用感)て言うけれど

このふたつ、「自己肯定感」のひとことでくくられ、いっしょくたにして語られています。

確かに、よく似ていますし、連続性があり、
境目がはっきりわかりません。

ところが近年、肯定感と効力感は別物だとして、分けて考えるべき、という流派も目立ってきています。

どの宗派にも属さない、ただのおばちゃんがどうこう言うのは烏滸がましいのですが、おばちゃんも、肯定感と効力感は別物として意識する習慣を付けた方が良いだろうなと思ってます。

どうぞ突っ込み入れながら読んでいただければと思います。

自己肯定感

言葉の意味をおさらいしましょう

言葉ってだいたいそうですが
自己肯定感も、テキトーな概念なんです。

狭義の自己肯定感は、
「生きているだけで尊い(むしろ死も尊い)」
「自分は大いなる循環の中に抱かれて生かされている」
こういった感覚。

うへーちょっと宗教チックだな~と思われるかもしれませんね
そう思わなきゃ、やってらんねーよ!ってのを美しく取りまとめてこそ宗教、みたいな側面あります。宗教的思考への親和性が薄いと、アヤシゲだと思われるのも無理はないですね。


よく、療育などで強調されがちな「できた!」「わかった!」「自分は役に立っている!」「愛されている!」という感覚、こちらも広い意味では自己肯定感ですが、今回のエントリーではその感覚は自己効力感とします。


狭義の自己肯定感ががっつりありますと、死の淵まで、いやむしろ、死の淵にあってもあまり乱れません。

狭義の自己肯定感は、「何事も有難く尊い」と思う心でもあります。
現状に満足させてくれます。自分のこともまわりのことも、ガツガツさせず、ほのぼのとさせます。
無理矢理奮い立たせ駆り立てていく系の心ではありません。
代わりに、メンタルを、穏やかに、長持ちさせてくれます。

シュタイナーやモンテッソーリのガチ勢も、こっち系なような気がします、亜種がたくさんあるので、私が見てきたのが本物なのかはわかりませんが、私がチラッと垣間見たこれらの教育は、他者承認なにそれ美味しいの?ってスタンスを徹底していてすごい。
これがほんとの自己肯定感を固めるための教育だな…と思って眺めた覚えがあります(でも徹底は難しそうですね。
本気で取り組もうとしても、都市部では、結局、時代の要請パワーに屈しがちです)。

自己効力感

自己肯定感だと思って、自己効力感を増長していませんか?

自己効力感は、「自分は出来る!価値がある! 」「愛されている!愛される価値がある!」という感覚です。

良い行動をほめて伸ばしましょう、凸を伸ばしましょう、愛されているという実感をお子さんに与えましょう、とよく言われますよね?
確かにその関わりが大切なフェイズもあるのですが、タイミングやポテンシャルを考えずに無意識にやってしまうと、その子の自己効力感欲求を増長させてしまいます。

幼さを言い訳にできなくなるころ、打たれ弱い、尊大、チャレンジより楽を選ぶ、逆に無謀なチャレンジしかしない、地に足つけて働かない、など、自己効力感育成の弊害が目立つようになります。
(あ~、私のことですね~耳が痛い……)

自己効力感を育てすぎると?

凸を無意識にほめますと、広義の自己肯定感がどんどん育ちます。
広義の自己肯定感には自己効力感を含みますから、自己効力感もどんどん強くなります。

ところが、人間、全面的に成長し続けるわけではないですよね。
加齢により出来ていたことが出来なくなる、できるはずなのに出来ない、まわりに比べて出来ない、努力が実らない、愛してくれる人の価値が下がった、愛してくれる人が亡くなった、そんなときが来ますよね。
そのとき、一瞬でこじれます。
こじれたままにしますと、自己効力感の喪失感から、鬱になります。

自己効力感が高かった人ほど、自己効力感を取り戻すのは難しいでしょう。

このことから、おばちゃんは、自己効力感て、適量超えたらアンハッピーかもしれないと思っています。
ま、親子のキャパによるんですけれど。

脳汁ドバドバの弊害

自己効力感は、いわゆる脳汁ドバドバ状態のときの感覚です。
安定をもたらすというよりは、日々揺れ動き、心に激しいゆさぶりをかけて、根性を試してきます。

承認の器の大きさに対して、承認の質と量がどの程度かにより、禁断症状が出たり、離脱で苦しんだり、承認の過剰摂取でハイになったり。
良くも悪くもすごく揺さぶってきます。


自己効力感ハイであり続けようとすると、試され続けることとなり、結果として、とんでもない業績につながることがあります。

よく言われる、 スティーブ・ジョブズさんやエジソンさん、アインシュタインさん 、ホリエモンさん、元スーパースターといった方々。
「超有能な成功者なんだけど、なんとなーく不幸なかんじのひと」ではありませんか?

思うに彼ら、自己効力感優位に偏っているんじゃないですかね。
そこが不幸なかんじの根源かな、とおばちゃん勘ぐってます。


ヨコミネ式や某療育、各種の凸を伸ばす教育・習い事は、自己肯定感伸ばしますと標榜していますよね。

でもどこかでバランス取らないと、手法的にも結果的にも、自己効力感優位、グイグイ上昇系として尖鋭化してしまうわけです。

グイグイ上昇系の手法が単純に悪いわけではありません。どちらも向き不向きや揺れ動きの問題があるということです。
ほめて伸ばすならば、 軟着陸のし方、バランスの取り方を教えることも、大切に考えてほしいです。

曖昧な境界線

自己肯定感と自己効力感、ふたつの自意識の境目は、無かったり、揺れ動いていたり、スペクトラムだったり、なにかヴェールによって隠されていたり。同じ関わり方であっても、その子と環境のタイミングによって、肯定感と効力感どちらを強化するのかは、変化します。

どちらも不可欠で、言うなれば効力感が攻、肯定感が守。
はっきり区切るのが良いとも限りません。

書籍やブログ、専門書など、不特定多数に向けた説明には限界もあり、多くの専門家は、 自己効力感と自己肯定感をひとくくりにしていますから、そこは各自適宜切り分けながら、実践に落とし込んでくださいね。


自己効力感優位の弊害

親、療育、学校、放課後等デイなど、今はうっかりすると全方位的に「出来た!という結果をほめる」という関わりの達人たちに囲まれてしまいます。

生まれつきの能力や経年による成長に依存している結果を、安易に「出来た!という結果」としてそればかりをほめてしまうと、内実の伴わない自己効力感が育ちます。

内実が伴っていないので、自己を客観視し始めたとたん、メンタルバランスおかしくなります。

この子はなんか一般と違うな、と思われるならば、自己効力感が伸び悩む日が来るという前提でいったほうが、バランス取りやすいと思います。


後の祭り、ダメ!ゼッタイ!

いろんな考え方、育て方があり正解はありません。
でも、
「あらま、自己肯定感たっぷりに育ててきたと思ってたけど、自己効力感だけだったのね~狭義の自己肯定感は低かったのね~」
って気付いて後の祭り~という展開は、どうか避けてあげてほしいです。

おばちゃんの思いです。

で……どうすればいいの?to be continued...

さて。
どうやったら、狭義の自己肯定感を身に付けられるのでしょうか?
気になりますよね。

正直、私にはわかりません。
期待して下さった方、ごめんなさいね。
わからないからこそ、考え続けています。

続きます。

読んでくださりありがとうございました!