※エリート多動、ハイスペック多動の話から派生して、同じく少数派である「繊細な子」がエリート多動の被害者となったとき、どういう戦略をとるのがおすすめか、それはなぜか、というお話です。
続きです。
こんにちは、変なおばちゃんです。閲覧注意です。
前回までのおさらいから。
学校や保育園、幼稚園において、集団の共有価値観をかき乱すエリート多動は、集団互助組織の外にいます。
一方、悪口の被害者となると、互助組織加入資格がないとされていた子でも、集団互助組織に加入しやすくなります。
エイリアンに攻撃されると、「敵の敵は味方」という原理や、「被害者は保護されるべき」「弱いものをかばう=善行」という、感情集団にありがちな共有価値観によって、互助集団加入権を与えられるんですね。
これ、四の五の言わずに乗っかっておくのが無難です。
ここからが今回の本題。
のっかるの、ものすごい気持ち悪いのはわかります、生身の人間のままショッカー戦闘員になったような気分だと思うんです、それでも、それでも、参加するメリットは大きい、ていうかデメリットがでかすぎる。
命を守るためのサバイバルだと思ったほうがいい。踏み絵は踏もう。渇したら盗泉の水を飲もう。
まあね、もちろん、欺瞞への不快感をエネルギーとして、身ひとつで不条理と戦い続ける人生を選ぶのも、また、それぞれの価値観ですけれども…すっごいいばらの道。
小学校でボロボロになって学校行けないみたいな細やかな子が、戦士人生志すのはなんていうか、違う気がする。
今ここで気を付けなくてはいけない被害者タイプとしている、言葉に繊細な子の多くは、知能が高くて、
適切な勉強方法を身に付ければテスト適性は伸びます。
で、司法や教育、文学(史学)、心理行く子が多い気がします。
大学4年間てなんだったっけみたいな就職するパターンですよ。
誰もが認める正義より、承認力の強い5人の「正義」のほうが強いのよ、同一コミュニティ内では。
つるまないと心身守れないときって、あると思います。
心身守る手段として「つるむ(ふりをする)」=「ちょいちょい批判もして、承認の価値が下がりすぎないよう供給量のコントロールをしつつ、なんだかんだ承認を与え合う(ふりをする)」って技能を身に付けずに行った子の死屍累々なのですよ。
「つるむことで得られる安全とリスク」を、親が支えてあげられる思春期前までに、学んでおいたほうがいい。
これ知らずに、勉強して、学歴でのしあがっても、病んで結局「こんなはずではなかったのに」ってなりがち。
「気の合わない人間関係に所属するぐらいなら、一人がいい」って、確かに短期的には安全ですが、長期的にリスクになるんです。
育ちきった大人ならいいけれど、若者にはおすすめしません、おばちゃんは。
一人になるのは、グループ活動の酸いも甘いも一通り噛み分けてからにしたほうがいいよ。
綺麗事は、発達障害やグレーゾーンの人のピンチを助けてくれることはあんまりないから。
(あ、平時では結構救われますがね)
今までも書いてきましたが、学校や園って、大人が思ってる以上に修羅場ってケースが多いですよ。
コミュニケーション力の強弱に基づく、弱肉強食。
学校生活において、孤立+承認され得る特技なし、というのは、自衛力ゼロ状態みたいなものです。
別の言い方しましょうか?
洗脳済みのフル装備ゲリラに360度包囲されてる、心優しき 丸腰の若者ですよ。
目に涙浮かべながら、野に咲く花一輪、そっと、差し出してるみたいな。
痛々しくて見てられないよ、おばちゃんは…
そりゃあ、
誰とも戦わない、誰とも組まない、誰からも侵略されないのが理想ですよ。
よく、優しい、理解ある、良識的なお母さまおっしゃいますよね、
「我が子がいじめっ子になるよりは、いじめられっ子のほうがずっといい」。
それはそうなんですけどね、これもね、「※ただし、立ち直って、自立できる場合に限る」の条件付きでしょ?こ
自動的に立ち直る機能がついてない子の親として、
「うちの子ちゃんはいじめっ子ではないのね!いじめられてるのね!よかった!被害者だ!」って……どこの鬼ですか?
まず、自衛の概念導入しようよ…被害に遭わないためのテクニックを教えてあげようよ…高潔さは、安全確保してから身に付ければいいじゃん、と私は思います。
続きます。