「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

親は味方ではない!

IQ188太田みさきさんが称賛される一方で、親御さんのことが一部で毒親などと批判されています。
IQ188の太田三砂貴さん(おおたみさきさん24)がテレビ出演されて話題になりました。

時計が読めなかったけれども、相対性理論に触れて時間とはということが腑に落ちた、など、発達マニア垂涎の逸材です。

親御さんは、彼に、普通に育ってほしいと願いました。
大学に行かせなかったこと、コンピューターの専門学校に入ったが独学で1年でマスターしたため辞めてしまったこと、コンピューターの会社に入社したが高卒のため開発ではなくコールセンター配属となったこと、渡米するがやはり学歴がないとスタートラインに立てないということで、24歳から国立大学を受験する等のエピソードが紹介されました。


学校を怖いとか、意味が分からないと思っているお子さんの中には、レアケースではありますが、「親は味方だよ」「親はいつも協力するよ」という関わりが逆効果となる子もいらっしゃいますよ。というお話です。

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「味方」という考え方は、試し行為や失望を招くことがある

「本当に味方なら、徹頭徹尾味方なはずだ」と疑い、試し行為を強めていく子がいます。

たとえ「そっか!味方なんだ!わーい!」という単純さがある子であっても、
いずれ親がハードルを上げざるを得なくなったり、支援の手をゆるめたりした瞬間、「なんだ、味方なんかじゃないじゃないか、騙された!」と失望するようになります。

お子さんによってはまるで思春期がそうさせているかのように暴れ、お子さんによっては静かに「味方なんかじゃなかったんだ、裏切られた」という悲しみを深めてゆき、
それぞれ望む対応は得られず、人間不信が捗ります。

バランスの取り方をインストール

「親は、いつも味方であることをお子さんに伝えましょう」
と、一般向けの療育や書籍等では頻繁に言われます。

ましてや不登校関連では、もう、挨拶かアル ファーティハ(いわゆるコーランの中で、最も多く繰り返される1節)かのように繰り返されます。


しかし、気を付けてください。

「親はあなたの味方です」というこの定型文には、一切のバランス調整の要素が含まれていません。
敵、味方、の二元論的です。
バランスは当然各自お取りください、って論法です。
多く見積もっても、せいぜい、敵、味方、中立、三元だけです。


現実の親子関係は、もっとレイヤードされていたり、グラデーションやスペクトラムがあったり、揺らぎがあったりするはず…と私は思います。

定型文にはバランシングを促す要素がない

定型文は発信する側にとって便利です。
聞く側としても聞きやすいです。

しかし、大きな弊害があります。
何度も何度も聞くために、普遍的な真理だと思い込まされがちなのです。

もちろん、文化やお作法として、取り入れるのは必要なライフハックです。
しかし、普遍的な真理として思い込んでしまうことで、バランスを失いやすくなります。


バランス感覚は、心理テクニックのなかでも、最も体得しにくいもののひとつです。

小さい頃から体幹を養いましょうとたまごクラブひよこクラブにてしきりに言われますが、思考のバランスについてはあまり言及されていませんよね。

なぜでしょうね?
思考のバランスは、大人も身に付けていないからかもしれませんね。


余談ですが、すみません、わたしもガッタガタに偏っています!自覚しているので、子どもや他者に対して、絶対的正義として君臨しようなんて思いません。

どうせ学校教育は左に行くのだから、母親は右ぐらいのほうが、子どもにとってはバランスをとりやすくなるであろう…という形に一応なってます。(ド右翼の自己紹介乙w)

客観的に見てバランスが取れているのが理想ですが、立場上、主観的にバランスが取れていればまあよい、というファジーな思考です。

バランス…グラデーション、スペクトラム、レイヤードの存在を強調する

不特定多数に一斉に伝える方法でバランス感覚を身に付けさせようとしても無理です。
エリート定型以上のバランスセンスのある子でない限り、体得できません。


個人個人、持って生まれたバランス感覚に合わせて、バランスの調整方法を身に付けていかねばなりません。

バランス感覚を身に付ける方法は、数値化しにくく、ほとんどの人がセンスと勘に頼っています。


また、バランス感覚を身に付けましょうという本は結構ありますが、具体的に示した本はあまり見かけない気がします。
恐らく、文章という一面的になりやすい伝達方法で表現すると、バランスと言うよりも中途半端、という印象を与えやすく、売れないので、目立たないのではないかなと思います。

ですから、不特定多数向けの生きづらさ緩和ガイドのほとんどが、わざと、インパクトをつけて、極端な言い方をします(おばちゃんも含めて)。

「極端な方向に引っ張っておいたから、対極の意見は自分で探して、バランスを取ってね」、という、筆者と読者の間で暗黙の了解があるため、一般的にはそれでいいんですけどね。


いろんな意見を読んで、「一体どっちが正解なんだ?」と混乱しているお子さんは、もしかしたら100ゼロ思考の袋小路にいるかもしれません。
「極端な右、極端な左、両方に揺さぶりをかけられることで、中庸を選べるようになりますように」という、暗黙の目当てを知らせてあげてください。

バランシングという意識がなくてもバランスを取っていく多様発達者もいますが、だいたいちょっとした多動があります。試行錯誤やらかしているうちに身に付いてくるようです。

バランシングの意識がなくバランスを取るのがとても難しい人もいます。バランスを失って一極に傾倒してしまうか、混乱してしまうのです。


言葉のワクチンで言葉の毒に免疫を

研究所では、「味方」はじめ、美しい言葉に敏感すぎるお子さんと接することが多いです。

免疫を付けるため、美しい言葉を弱毒化し言葉のワクチンを打ちまくります。

発達障害、アスペルガー傾向ありの方だけでなく、母国語が異なる子、外国暮らしが長かった子などにもしばしば言葉のワクチンが有効です。

彼らは、「味方」という言葉の持つ、絶対的かつ厳然とした揺るぎない信頼に値する存在、という側面ばかりに意識を向けすぎてしまいがちなのです。

その結果、現実社会にはびこる「味方」という言葉のいい加減さ(軽さ)とのギャップに、あっという間に打ちのめされるためです。


免疫をつけるための言葉のワクチンは色々ありますが、
・「親は、一応我が子の味方なのだけれども、味方でないこともある。」
・「親にとっての子育てと、子どもにとっての成長は、利害が一致している部分が多いので、共同作業をすることが多い」
と言われた方がすっきりする子もいるようです。思春期以降、あるいはもっと前、親の愛を疑わない時期から、こういう考え方がある、と予告しておいてもいいと思います。

助け合うのも味方だが、裏切るのも味方

具体的には、ゲスな人間の生き方をお子さんと共に探っていきます。

「は?人を信じることを教えるべきしょ?」と思われるでしょう。
そりゃあ聖人と仏様だけでまわりを固められるなら、いいと思いますよ…無理でしょそんなの。


あなたの相手は、あなたの考える「~であるべき」が通じる相手ですか?
もしそうならば、あなたはこんな長ったらしくしつこい悪文をお読みくださらないでしょう。


助け合うのも味方、裏切るのも味方。

この言葉によって、お友だちの裏切りでずっと沈んでいた子のからだのこわばりがフッとゆるむ、こういったことはよくあります。

親の役割も変わっていく

幼児期以降のお子さんのために親がすべき仕事は、「お客様のトラブルを解決してあげること」ではなく、トラブル対処コンサルティングの後輩を育てるつもりでOJT(on the job training)に注力することです。

そのOJTの過程で、親がトラブルを解決することもあるでしょう、それはそれで良いのです。

ただ、我が子という後輩を育てるという感覚を無くしてしまわないようにと強調しておきます。

段階によりますが、おすすめは
・親が何かを判断するとき、どのようなことを判断基準としたか明示する
(例、「前回国産だったのに今回はなぜ輸入肉を買ったか」値段、割引率、家計、今日のメニューは濃い味付けをするから安い肉で良い、など)
・親が「判断間違えたー」と思うのはどういうときか例を挙げる
・状況、価値観に応じ、異なる判断基準が無限にあることを示す
要するに、「この判断には、何か事情があるんだなー」と刷り込んでいくのです。

やってほしくないのが、
・自分で考えられない子や、考え方が一般とかけ離れている子に、親の「判断の結果」だけ見せる
(完全独自の判断基準を頑なに持ちやすくなります。
そのこと自体は悪いことではないですが、人に嫌われやすくなり二次的なトラブルにつながるのでおすすめしません)

・親の判断は常に正しい、と植え付ける
こういった関わりは、白黒思考、百ゼロ思考(思考の偏り)を強め、危険ですからやめましょう。


もし、親御さんが感情的になってしまい、後輩コンサルタント育成ができないなら、親だからといって上から目線で味方ぶるのはやめましょう。
中途半端になりかねませんので。
親だけど、サザエさんか、メンドクサイ同期ぐらいのスタンスだよとお子さんに認識してもらうことをおすすめします。


「えー!おばちゃん!バランスが大切って言ってたじゃん!!中途半端って、言ってみればバランス取ってるってことじゃないの?」
とおっしゃる方、私も、あれれ~おかしいぞ~と思ってコナンくんばりに考えました(笑)

そして、「味方、敵」という二元論的な考え方の中では、バランスは取れないということだと考えました。
(絶対に取れないというわけではありませんが)

二元論の中では、バランスをいくら取ろうとしても、バランスは取れないのです。
童話の「コウモリ」になるだけです。
(鳥類の仲間をしてみたり、哺乳類の仲間をしてみたりするうちに、どちらからも敵対視されて信用を失ってしまった、という話ですよ)。

子どもが思うより親は弱いですというスタンスに変えていくね、と刷り込んでいく

お子さんにとっても、親を味方だ、しかも強い味方だ、と信じていることは、ベネフィットもありますがリスクでもあります。
叱られる度、たしなめられる度に、感情的な揺さぶりを感じることになるからです。

押さえつけていた反動が出るのは有名ですね?
信じていた反動でも、思春期の反発が強くなります。

また、裏切られた!とか、毒親だ!いう感情も湧きやすく、また親の代わりに誰か絶対的に信頼できる存在を求めてさ迷うことになります。

こうして、人生を飄々と渡っていくことが難しくなります。

変わっていくからこそ

繰り返しになりますが、親も、変わりますし、揺らぎます。
老化、怪我、病気、退職、認知症、神様仏様やスーパーマンとして子の絶対的味方であり続けることはできません。

親の変化に伴って、自分を変えていくことができるようなお子さんであれば、既に、学校集団に伴って自分を変えているはずですよ。


学校を怖がる、という時点で、「変化に対応する力は伸びしろ無限大状態(つまり、ほとんどない)」だと見なしたほうが無難です。


そんな子が、「親は絶対的味方。敵を退治してくれた」という記憶を抱えて大きくなることを想像して下さい…

危険ですよね。

せいぜい「あやしいけどなかなか役に立つ無資格コンサル」ぐらいのスタンスで親をしておきましょう。その方が、お子さんの予後に及ぼす悪影響を緩和できます。



自分はどのような心理で、どのような物事を怖がっているのか、という分析ができるようになる前は、
トラブルの原因となる具体物の話しかできません。

最も大切にすべき自分の心理から離れて、とらわれてはならぬ敵や障害物に関心が集中してしまうのも、問題です。


学校や園で、どんな事があったのか、どんな敵がいて、どんなことをされたから、心が弱ってしまったのか。という具象しか、聞いても出てこないのではありませんか?

あるいは、ライフハックとして「私も悪かったんだけど」「自分にも責任があるから、一概には相手を責められないけど」と機械的に言い添えることで、あたかも自分の問題点とは既に向き合っていますというポーズをとりながら、実は全く自己の問題点から目を反らしているのではないですか?
そういう子、たくさんいます。
幼児でも、です。


大人は、「聞き出せば、事実が手に入る」と考えがちです。
しかし、ご自身が振り返ればわかると思いますが、気持ちと、言葉と、行動と、事実は、しばしば乖離します。

ストレスが強くかかった状態で、答えを求められ、そこに明確な答えが見当たらないとき、いちばん軽視されやすいのが「事実」です。

その事実とは、問題の本質であったり、明快な答えがないという事実であったりするので、本来最も大切にしなくてはならないのに、

危機にある者の陥りがちな心理としては、事実がいちばん優先順位が低いのです!


言葉に気持ちが引きずられること、気持ちに言葉が引きずられること、すごく多いです。

子どもの言葉を信じるなってわけではないのですが


学校が怖い、という子に「なぜ」「どうしたら怖くなくなるか」と問うとき、

例えば、お子さんが、Aくんがいじめをする。それが怖くて学校行けない、と言ったとします。

敵のことを話したのだから、除去や解決をしてくれるよね?、といった期待をお子さんが抱いてしまったり、
敵のことを聞いたのだから望み通り除去してあげなければと親御さんが張り切ってしまったり、ということがよく起こります。

親子が「問題解決」にこだわってしまうきっかけになるのが、「話を聞く」という行為なのです。

しかし、子どもから聞けることは、子どもの価値観を通した、子どもの言語表現力を介した、歪なビジョンです。
もちろん、親から見たビジョンも、いびつです。

そのビジョンを得て、何をするのでしょう。
対症療法的なその場しのぎの「見える障害物を除去する活動」に傾倒してしまいがちです。

そのフィールドにずっといるのならば、地雷を除去することにも意味がある、という方もいらっしゃいます。

それも一理あるのですが、私の経験上、発達障害、アスペルガー症候群に近い者にとって、集団における障害物や地雷は、そんなに簡単に除去しきれるものではありません。

全てを除去しようとしても絶望するだけです。
刻一刻と、無作為に場所が変わるように感じられるでしょう。
まるでゾンビ倒しゲーム(モグラたたきよりもフィールドが広大で、救いがないイメージ)のように…

ですから、障害物や地雷の除去をしてあげること以上に、避け方や治療など対処法を教えることが大切だと思います。

発達障害の子をストレス下で問い詰めてもいいことないのでやめよ?

問い詰めたときに、実際に言語表現されるのは
・○ちゃんが、仲間外れにするから悲しい
・○先生が、ひどい怒り方をするので傷付いた
・勉強がわからない
・家が好き
・友達がいない
・いじめられている
という、わかりやすい具象であったり、徹頭徹尾「わからない」です。

では、その状況を親が改善したら、どうなるでしょうか?
○ちゃんに、仲間に入れてもらえるように先生に取り計らってもらう…異質だから排除したのですよ?友達ごっこの中で、どぎつい反発を食らうだけです。

○先生に、叱り方を変えてもらう…一時的にうまく行ったように見えても、担任は数年で交代です。児童、生徒であるうちは、お客様待遇なので、お子さんに合わせることを先生に要求し続ける親御さんがいらっしゃるようですが、職場ではお客様待遇してもらえません。

○いじめてはいけないことをクラスに伝える…関心を他に反らすことができなくなり、いじめっ子もいじめられっ子もかえっていじめに目が向くようになる。
また、たくさんいる子どもの中で、ターゲットになってしまったからには、ターゲットにならないためのライフハックがあるはずなのに、「いじめる方が一方的に悪い」という社会通念によって意識が反らされてしまいがちです。


問題を、単なる一事象としてではなく、人生を通じて緩和していくべきことだととらえれば、多様な価値観、多様な叱り方への感受性を調整していくべきだという結論に至る方が多いです。

しかし、多様性を学ぶことの大切さは十分知りながら、「学校が怖いのは、○のせい」と聞いてしまった親は、ついつい他者排除を最終目的化してしまいます。
皮肉な話ですね。


IQ188の太田みさきさんの親御さんは、確かにギフテッドへの理解は深くなかったでしょうし、親御さんの理解不足でお子さんの進路は遠回りになったように見えるかもしれません。

しかし、みさきさんの物腰を見ていますと、親御さんの幸福論に対するセンス、お子さんの凸ではなく凹を伸ばすスキルは、ずば抜けていたのかもしれないと思われます。

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