「もしかして発達グレー研究所」凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

発達凸凹はまわりの迷惑です!

「うちの子は、他害はしない。空気が読めないだけ。やるべきことやらないだけ。学校が合わないなだけ。友達に迷惑なんてかけてない。いじめられるのはまわりが悪い。先生もっと配慮して」

こういう保護者が、発達凸凹のお子さんの教育を集団任せにすると、どうなるでしょうか。

集団からこぼれます。たぶんね。


集団構成員とリーダー(つまり、クラスメイトと担任)にとっては、集団機能の維持は至上命題です。

集団として機能していなければ、生徒が学校へ来る理由も、先生が給料をもらう理由も、ないのです。

集団の秩序を乱す子の存在は、集団にとって大きなストレス源なのです。


強いストレスに耐え得る余力のある子達の集団は、秩序を乱す存在も受け入れ、「多様性を知る」という学びにつなげられることがあります。
ただし、極めて特殊なエリート環境か、あるいは、負荷がかかっておらず「自分も同じ成長過程を辿った」等の認識のある子達の集団ですがね。


多数とのコミュニケーションを除けば、親と本と運動場があれば学べます。
勉学の習得について言えばホームスクーリング等マンツーマンのほうが圧倒的有利です。

それなのになぜわざわざ幼稚園や学校を作り、集団となり勉学させるスタイルが主流なのかを考えてみてください。

保護者の側からしますと、「そうするのが当たり前」「毎日見てなんていられない」という意見が多いでしょう。
私なりに(アスペ的に)その真意を分析しますと、
「秩序の維持された集団には、外的ストレスから個体を守りながら、集団の能力向上を促す機能があるから」です。
その機能に期待するからこそ、人々は学校に行く/行かせるのだと私は思っています。


体制側としては(いきなりすみません)、雇用を創出し、保護者の勤労を促し、将来の社会の歯車(言ってみりゃ無抵抗な納税者)を育成するという、経済効果があります。



向上途中の集団では、「秩序ある集団となって能力向上を目指す」という目的が「多様性を知る」という学びよりも優先されるのです。


発展途上の集団においては、秩序を乱したり目的を共有しなかったりする個体が排除されるのは、集団の原理に基づいた、適切な防御反応と言えます。


具体的には、遅刻や欠席。宿題未提出。忘れ物。給食を食べないこと。個人の疑問解消を授業中にしようとすること。
やらかしている側から見れば「個人の問題であって、まわりに迷惑はかけていない」と思ってしまいがちです(私もです…)。

しかし、実は、やらかす子は、まわりの秩序を乱し、士気を下げていると言えます。

まわりの親子が集団に期待する機能を、大きく阻害しているのです。

まわりの子たちに、迷惑だと感じさせているのです。

(ですから、ある種の教師は、やらかす子を吊し上げて痛め付ける手法でクラスをまとめます。これは残念ながら、実に理にかなった多数派育成手法です)


現状、「定型」と呼ばれる子達の何割かは、必死で定型のふりをしています。

そんな中で、
我々の個性を受け入れろ!典型発達は多様発達を差別するな!と声高に主張することは、
余計な軋轢を招き、
かえって発達障害寄りの子達の生きやすさを削る可能性があると危惧しています。


権利の主張、止めはしませんが、それはほんとうにお得なのか、考えてみてください。
ベストの道が見つからないからといって、いちばん生きにくい道、選ばないでほしいと思います。

「変わってるけどいいやつ」という立ち位置が一番美味しいのではないかなと思っています。
もちろん、ひとりひとりお気に入りの立ち位置は異なるでしょうけれど、
「攻撃を受けにくい立ち位置」というのは明確にありますからね。

攻撃は最大の防御、って言葉はありますしボクシングなんかではその通り何でしょうけれど、打たれ弱いなら、リアルでやらないほうがいいですよ。


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