「もしかして発達グレー研究所」凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

それでも担任に頼りますか?4

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前回の記事はこちらです
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「子どもは人質にとられている」

担任はハズレだな、と思った保護者の方は、「子どもは人質」感覚、持っておいて損はないと思います。
それと同時に、貴重なチャンスとしましょう。近年叱らない指導スタイルがブームです。叱る、怒鳴る、いじめる、陰湿な先生こそうまく使えば、お子さんのレジリエンス増強に繋げることができます。

問題担任の頭の中の消しゴム

担任の指導がパワハラまがいであるなど、問題があると感じたとき、どうしますか。
親が、担任や管理職に詰め寄れば、
もしかしたら「ごめんなさい以後気を付けます」という言葉を引き出せて、
そのときは親子ですっきりするかもしれません。

が、もし無策で詰め寄ったのであれば、数週間後、早ければその日から、お子さんのクラス内での居場所は狭まっていくでしょう。

その場のスッキリにどれだけの価値があるのか、また、ひとときのスッキリによって何が引き起こされるのか、親が考えないと、毎日担任やクラスメイトと顔を合わせるお子さんがかわいそうです。
そもそも、問題担任は謝罪をしたがりません。
謝罪させたところで、不快感と憎しみだけを残して謝った理由をきれいさっぱり忘れる機能がついているからです。

組織に勢いで立ち向かう?

担任が集団の最大有力者であることは揺るがしようの無い事実。
ですから、こちらの正しいと思うことを押し付けるよりも、おもねるほうが合理的です。

戦わないと生き残れないバトルロイヤル地域もありますので、各ご家庭での判断が大切ですが、基本的には「価値観オセロに関わって疲弊してる暇はない」、と割り切るほうが親子の利益に繋がります。

(つけこまれないような目力と体力は身に付けておくに越したことはありませんよ!)


何をされてもいつもニコニコ穏やかでいろ、ということではありません。

その場その時ごとに移ろう感情にではなく、意図に、言動をリンクさせたほうがうまくいくよということです。
自分の言動によって、長期的 短期的に何が得られて何を失うのか、に目を向ける習慣を付けるのです。

そうすることが、お子さんのためにも親御さんのためにも、長期的な利益に繋がるはずです。

戦うなとは言わないが、勝てない戦はするな

繰り返しになりますが、私が言っているのは、
戦うな、ということではありません。

論理展開や引き際や落としどころを考えずに、無防備なままバトルに突っ込んでいかないで、ということです。

学校は相手のテリトリーです。
バックには、大組織があります。
教育委員会に相談?ノンノン、元教員だらけの仲良し互助組織です。

たとえ親子の念願かなって担任がはずされることがあっても、
それは「問題の所在をうやむやにする」という組織側のメリットがあるからそうなっただけです。
強硬な態度を見せたところで、
他の先生方に警戒されるだけです。
利益は短期的です。

その警戒が、こちらに利することであれば甲斐もありますが
残念ながら勝ち目の薄いギャンブルです。

ひとたび「アンタッチャブルな親子」と思われると、損をするのはあなた方親子です。

なぜでしょうか?
それは、応用行動分析的な「よい行動を定着させるために問題行動を見逃す」ではなく、「叱らず適当にほめて、卒業を待つ」という対応を招くからです。

担任は、「この親子を警戒すれば(叱らなければ)いいんだな」とわかると、すっごい楽になるんです。
セクハラさえ気を付けて、ひたすらほめて、ひいきしていれば、裁判でも有利です。

一方、お子さんは、クラスメイトからは「あいつはほめられすぎ。もっと叱られるべき」「贔屓されてる」と思われるようになります。

親御さんが、担任に配慮を求めるとき、考えてみてほしいことがあります。
担任が無闇に甘やかすようになった発達障害児の予後のことです。
想像してみてください。
担任から直接受けるストレスは減りますが、クラスメイトが子に与えるストレスは、ほぼ必ず強くなります。

親の立場では、担任ストレスが減ったことしか実感できません。
後に登校拒否などの現象が表れて初めて、担任に配慮を求めた結果お子さんのストレスの総量がかえって増えてしまっていたことが発覚します。

ありがちなのが
「先生はなんであいつを甘やかすんですか!贔屓だ!」という苦情が出て、
「別に甘やかしてなんかいないよ、みんな大事な子どもたちだよ♥」とかなんとか軽口を言い
文句言ってきた子を、別件で優遇し、
不満のガス抜きに精を出すようになる、という展開です。

学校生活は、承認奪い合いバトルロイヤル。
そこに、贔屓があるわけです。
その被贔屓者の受けるペナルティを想像すべきです。
が、
担任が賢くないと
贔屓のせいでたまった毒ガスを贔屓を使って抜こうとする、という悪手に頼ってしまうのです。

同時に全員に「愛されている、尊重されている」と思い込ませる力は、特殊技能で
学校教師誰もが持っている力ではありません。
ご自身やお子さんに兄弟姉妹おありの方、
複数の後輩を育成した経験のある方には、おわかりいただけるのではないかと思います。

はっきり言って、「みんなを平等に大切にする」なんて無茶なマニフェスト掲げるのは悪手なのですが、
そう言わないと叩かれるから、言ってしまうのですよね。


このように、
「アンタッチャブルな親子だから適当にほめて甘やかして、卒業まで穏便に」
という対応は、最悪手のひとつなのです。

しかし、多くの親子が、敢えて望んで引き出してしまっています。

担任によるストレスは確かに一時的に減り、楽になることもありますが、
そこに他者が介在する限り、
担任への支援要求は慎重に行うべきでしょう。

集団の不満を軽視して個を「合理的配慮」すると破滅する

特別扱いを勝ち取ってしまった親の子は、どのような成長過程をたどるのでしょうか。
親の責任で慎重に洗脳しない限り、
真綿でくるんだ特別扱いを当たり前の権利だと認識し、
「ひいきだ、ずるい」等素朴な不満を持つクラスメイトたちのことを狭量で低俗だと見なすようになります。

担任が、クラスに向けた講話の中で、
「配慮するのは当たり前!配慮を得るのは、基本的人権!」などと馬鹿げた綺麗事を強調するからです。

この認知、被配慮側のお子さんのものとすべきでしょうか。

私は、親が責任をもって徹底的に阻止すべきだと思います。
「やって当たり前でしょ」という態度の相手のために、自腹でコストを割いてくれるお人好しはそうはいませんから。

配慮する側としては当たり前にできてほしいけれど、配慮される側としては感謝と謙虚さを忘れてはいけないのです。
卑屈になれということでは決してありません。
謙虚な感謝は悪意に対する防御力を高めてくれるイージスの盾です。

配慮や支援にはお金や手間隙がかかります
「末永い支援を維持するために、余力のある人をいかに誉めて伸ばすか」という視点がなければ
弱者への配慮はいずれ消えてなくなるでしょう。

「支援は当たり前にすべきこと!」という指導は愚策です。
「支援してくれる人は立派!エライ!」としたほうが、気分よく続けてもらいやすいです。

「支援は当たり前」「いじめはいじめる方だけが悪」という定型文で、余力ある者ない者、いじめっ子いじめられっ子まとめて指導すると、どうしても被の側が誤解して、尊大になってしまいます。

お子さんを包んでくれる配慮の真綿は、
お子さん自身の首を絞めるのにもぴったりなのです。



別の展開もあります。
担任の組織力よりも強い勢力を持っている親子であれば別ですが、一介の保護者が感情的になって組織に楯突くということがどれだけ危険か、ということを考えてみてください。

引っ越しや転校という、「逃げる」の選択肢がない親子の場合は、担任と戦ったり、配慮を求めたりしても、長期的に見てマイナスにしかならないと考えています。

短期的にはメリットがあります、
麻薬みたいなもので、
一時的な疼痛コントロールが有意義なときはあります。
でも、頼り続けると死期を早めます。

あなたの感情は あなたとお子さんの損失を考慮してくれない

様々なパターンの展開、落としどころを複数想定した上で「今ここでキレッキレにキレて、担任をキッチリシメておく」と冷静に判断して、キレて見せるのであればいいのです。

感情に蓋をしろなんて言いません、
しかし、感情に言動を任せてはいけません。

まして、大きな組織に守られた担任と対峙するならば、なおさらです。
言動によって失うもののことを、感情は考慮してくれないからです。

特に怒りの感情。

我々庶民のアンガーマネジメント力なんて、怒りマックスのときにはクソです。

クソ担任にクソを投げつけて、何が得られますか?

あなたの手が汚れ、あなたは狂人と見なされ、あなたの大切なお子さんが狂人の子扱いされるようになるだけではありませんか。


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