「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

二次障害への近道~完璧な親に否定される

信頼は心を壊すトリガーになる

誰にでもありうることですが、発達障害傾向、特に自閉傾向のある方は気を付けてほしいことがあります。

人を信頼するということを、する、しない、の2択にしないようにしていただきたいのです。

・信頼や約束という言葉をまわりが軽々しく使っていると感じたことがある(ご本人は厳格にとらえている)
・ひとたび信頼するとなったら盲目的に、命懸けで信頼してしまう
このような傾向がある方、要注意です。


発達障害(自閉症スペクトラム障害)の診断はとても曖昧で、専門家も「どこで線引きするか」困惑しています。
たとえば多動、こだわりなどは、先天性の障害によって起こるのは知られていますが、後天的ストレスによっても同じ症状を呈することがあります。
ストレス原因は先天的、後天的、どちらもあり、または連鎖的に起きていて、様々ですが

心身のストレスが連鎖的にスパイラルを起こし、ハイストレス状態が極まっているときは、早めの介入あるいは、自分で自己分析と認知行動療法を行うのが望ましいという点は共通しています。


ハイストレス状態=超高速走行状態みたいなものです。
視野、価値観が狭くなって客観視どころではなくなってしまってます。

フツーと呼ばれる人たちは、情報の解像度を下げて、脳のメモリを確保し、
そのメモリをつかってバランシングを行ったり、
多数派におもねって身を守ったりします。

解像度を下げないのにたくさんの情報を集めたがる人たちは、
必要とする脳のキャパが莫大で、余力(アソビ)不足になりがちなのです。

このフラストレーションは、地味にでも確実に精神的ストレスとなります。
ストレスがこだわりを招き、こだわりがストレスを増幅させる、
というスパイラルをもたらします。

こうして、許容してくれる相手が人口比で少なくなりすぎるのです。
この現象は、障害に限ったことではないですが、
発達障害傾向、ギフテッド傾向、2E傾向がある方は
偏りが偏りを呼びやすいのです。

そこで、
バランスが大切だという視点、
バランスをとることは悪いことではなさそうだというゆるい感覚を
子供時代に持たせておく関わりをおすすめすることが多いです。
もちろん、フツーの人達にも伝えたいけど(笑)

信じる者は救われたり足元すくわれたり

わずかなすれ違いを、否定や裏切りととらえることも、
ひたむきすぎる信頼を相手に利用されてしまうことも、
ひたむきさを重い、ウザイと疎まれることも…当然多々あります。

なぜなら、信頼オア ノット!という考え方が脳に刷り込まれてしまっているからです。


ピュアな子には、信頼するに足らない人、信頼すべきでない人を信頼させては絶対に いけません。
信頼という言葉の価値を調整したほうがいいです。

信頼なんてくそ食らえ!

どうすればよいのでしょうか。

私は、お子さんの心を少し汚し、ピュア度を下げることが、かえって、持続可能なピュアさを持つ愛されキャラ(憎めないキャラ)形成に有効であるという手応えを得ています。

お子さんの心を少し汚しましょう。ゲスなライフハックの出番です。

「信頼とは、美しく聞こえる言葉だが、中身は色々。ちっぽけな覚悟、大ボラ、裏切るなよ程度の意味、等々多様。」

「信頼に殺される前に外せ(裏切れ)」

「人間も動物。遺伝子を残すためにがむしゃら」

「相手は、承認されたい、または生き残りたい、子孫を残したい、という本能に振り回されている可能性があると思った方が無難」

「人間には、他の動物よりも理性(良いとされることをしようという気持ち)がある。理性を司る前頭前野を励まし伸ばすことが推奨される。
ただ、理性も、優しさや記憶力などと同様、強いストレスにより抑え込まれてしまうことがある」

「ストレスをかわすためには、理想実現方法だけでなく、サバイバル能力を身につけておく必要がある」

「明らかに自己中な人は、実は、思うほどには害がないかもしれない。
周りの人への影響力が、あるようでいて、ない。なぜなら、周りは関わるうちにあーこの人やべーな、と察し、まともに取り合わなくなるから。」

「信じて!!という人で、百パーセント信じる価値のある人には会ったことがない。信じる価値のある人だと思っても、信頼パーセンテージは50パーセント前後に止めておくといい」

「いい人とされる人には、一見いい人からすごくすごくいい人まで、様々なタイプが隠れている。サイコパスか、善人ごっこをしているふつーの人か、宗教勧誘かセールス、骨の髄まで善人か、何も考えていないか 来世に期待しているか…。
ほかにもタイプがあるかも。気付いたら教えてほしい」

書いてて、なーんか悪役みたいな考え方だな…と思ってしまいましたが…

こんなかんじで、ピュアすぎる、真っ白すぎる心を少し汚すのです。


これ、実は、majorityであるいわゆる定型発達の成長スタイルを言語化したものなのです。
比較的早期にこのような、心の汚し作業を、言語化の過程なしに行うのが定型と呼ばれているといっても、過言ではないでしょう。


汚されないよう汚れないように育ってしまう、繊細でピュアで固い魂の持ち主は、汚れを嫌悪しすぎたり、嫌悪感との戦いに疲れ果ててなげやりになるなどして、汚れた世界への疎外感を強めていきます。

これを防ぐため、親が安全基地であるうちに、汚さも含めた世界を俯瞰させておくことが必要です。

※ピュアな魂も、自力で汚れに慣れていくことができないわけではありません。
ただ、時期が…タイミングが遅すぎるのです。

いつどうやってなにを学ばせる?

最も激しく価値観のせめぎ合いが行われるのは、異なる価値観とガチ遭遇する幼児期から小中学生と、異なる価値観同士がさらなる異質な価値観(親族子ども等)とぶち当たる結婚生活、あるいは仕事。

人生の初期に、異なる価値観とエンカウントして、自分の価値観をボコボコにされたときの経験で一発アウト、人格が歪むこともありますが、親子関係が繋がっていれば、立ち直り方、学びとり方を叩き込むチャンスです。

※経験したそのときはハイストレスから認知が歪んでいることが多く、叩き込むにも無理、手遅れと思うこともあるでしょう。
が、親のことを好きな、記憶力が強い子ならば、わりとあとから調整ができます。



異なる価値観との遭遇=バトル開始だ!勝つか負けるかだ!力ある者が勝つ!と思い込んだ人は、結婚生活でも力を振りかざそうとしてしまうかもしれません。(その代わり、強気な相手との交渉事に役立つ戦闘力を身につけやすくなるでしょう)

主張せず譲った方が平和だな、と思った人は、主張の練習を諦めたり、優柔不断を強めたりしがち。(その代わり、人当たりよく、人を和ませる力を身に付けやすくなるでしょう)

お子さんたちには、どちらが悪いとかいいとかではなく、
現実的なバランスを身につけていただきたいのです。

幼児期から小学生にかけて、人々の魂のバトルロイヤルから目をそらさずに、親御さんという心理的な安全基地の近くでたくさんのトラブルシューティングをOJTで学びます。
トラブル含めた生活すべてが、学びの教材です。

自意識だだ漏れゆえ、担任や集団から、致命的なダメージをくらうこともあります。

しかし、子どもの頃の「自他の境界が曖昧な時期」だけは、親のライフゲージからライフを分けてあげたり、親による回復魔法が効きます。
精神的なへその緒が繋がっていると言いますか…
(効かない子もいます、とにかく例外だらけですので)

さらに幸いなことに、発達障害寄りの人たちは
「ピュアさを守る期間、自他の境界が曖昧な期間」が比較的長いのです。


殴り合いをしないですむ人とはどんなひとか、相手や状況に応じて戦うか戦わないかの見極めに正解はありません。けれども、「加減、バランス」にフォーカスし、教えてあげましょう。
親が非言語下で行っている思考プロセスを、言葉にして伝えるのです。

(この方法はとてもよく使います。
パン屋で、なぜメロンパンにせず、カスタードパンにしたのか、理由として想定できることを話して想定パターンを増やす、理由がないなら理由はないということを話す、みたいなことでも、たくさんインストールしてあげることで、安心して思考と判断を行うようになるものです)

美しすぎる言葉へのこだわりをゆるめさせる

また、信頼という言葉へのこだわりを弱めさせましょう。
強すぎる縛りを弛めておきましょう。
信頼関係なんて、崩れることが前提だ、ということです。だから工夫して、大切にしようとするんだよ。と。

信頼を1-80位までのパーセンテージで数値化したり、信頼した「ふり」「つもり」による裏切られ予防スキルを身に付けたりすることは、発達障害やグレーゾーンの子にとって、とても大切なライフハックです。

(余談ですが、大事な話。
小学校中学年ぐらいまでに一度、先生等に裏切られたとかいじめられたとして大ショックを受ける経験をして、そこから親のサポートにより、異文化交流ライフハックを身に付ける…というスタイルは、発達凸凹っ子の健全な成長経路のひとつの黄金パターンとされています)。


自死なさった人たちの書き残したものを読むと、何年も何年も考えた末に念願かなってという方もいらっしゃるものの、ほとんどは、違うようです。

唯一そして深く信頼していた人を信用できなくなったことが、望まぬ最後のひと押しになっている、という印象をしばしば受けます。

心身を委ねるような、強すぎる信頼を、他人に置くことは、ハイリスクです。他に頼れる人がいないならばなおさらです。


先生だけではありません。
親も、支援者も、信頼されすぎないほうが良いかもしれないと私は考えています。


もちろん、信頼が、メンタルを支えることは多々あります。
また、相手に知識やサバイバルメソッドをインプットさせるため第一選択すべき重要ツールという側面もあります。

しかし、信頼が依存に傾き、かつ、その依存先が持続可能でない場合は、かえって精神安定の上で悪影響が出るリスクも同時に孕んでいます。
バランスを取らないと、依存の深みにはまります。
信頼も、他の「美しい概念」同様、諸刃の剣なのです。


子ども思いの素晴らしい親御さんの子は、自死や自傷行為をせずすくすく育つとお思いですか?

いいえ、自死します。

これは、人は信じる価値がある存在だとか、人を信じられないのは悲しいことだとか、自分は他者から愛される価値がある などと思い込んでしまったことが理由のひとつだと私は思います。


人の営みの美しい面は学校などでさんざん吹き込まれます。
しかし、ダークサイド、例えば人の心の薄汚さや、世の中のどす黒さ、人の愛情を利用するずるさは、ピュアな目では気付くことができません。

ピュアな魂を陥れようとする落とし穴の存在をあらかじめ教えておけば、ことによると、心のダメージを緩和でき、命を救えるのではないかと思うのです。

(ひねくれてこじらせて周囲を困らせている子は、ひねくれることができたおかげで自死しないで済むかもしれないとも思います)

立派な親にならないで!

立派な親には、私もなれません。なれたらいいなとは思いますが、分不相応な背伸びをして、うまくいった試しがないですから。


親よりは自分の方がマシ、と思わせてくれた親のお子さんは、たとえ親を憎みながらも、たくましく生きられるものなのです。

完璧な親御さんや優秀な親御さんは、親にもダメなところがたくさんあるよということを、ならべく早くからお子さんに見せて上げることが、長い目で見てかえっていい教育となる可能性があると思います。

(権威が落ちるかのように思われるでしょうが、親の権威なんてどうせそのうち失墜するので、あらかじめ低め安定を狙うのも手なのです)


自分はダメな親だと思っている親御さんは、完璧な親を装おうなどして虚勢を張らないことです。
自分のダメなところを知っていること、努力する気力もないこと(笑)、どうやって自分のダメさと折り合いをつけようとしているのかということ等、私はしばしば言葉にして伝えます。

虚勢を張らず、謙虚でいれば、親の不行き届きによるマイナスの影響を減らせると思うからです。

粉々に砕け散るかもしれない全幅の信頼に命かけるの馬鹿馬鹿しくないですか?
ユルく続く、ほどほどの、ライトな信頼を保ちませんか。


読んでいただきありがとうございます。

お子さんと保護者の方の持続可能な幸せのため、
ささやかなライフハックを一緒に探して参りましょう。

ご相談お待ちしております。