「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

普通、って何だ?

こんにちは、ただのおばちゃんです。
普通のおばちゃん、ではないです。

普通、って、何なのでしょう。

言葉の意味を規定するもの

言葉の意味を規定するものは、
・言葉の辞書的な意味
・発語者の価値観
・発語者の置かれた状況
・発語者の主観、恣意
・受け取り手の状況(発語者から見た受け取り手の状況と、受け取り手本人の認識)
・受け取り手の主観(発語者が想定する受け取り手の認識と、受け取り手の認識)
・発語者の予測(受け取り手の気持ちの変化)

などなど。
ごちゃごちゃしてしまいましたね、読み飛ばしてください(今さらごめんなさい)。
こんな複雑な要素が絡み合っているんです、とお伝えしたかったのです。


「むしろなんで言葉が通じるなんてことがあり得るんだよ…人間すごすぎ」
と当研究所ではとらえています。

頻繁に使われる言葉ほど意味が曖昧

よく使われる日本語、(英単語で言うところの基本ワード1500に入るぐらいの頻出単語)は特に厄介です。
辞書にある意味以外の多面性、重層性がとても多いからです。

みる、わかる、もつ、とる、やめる、むきあう、たしかめる、かくにんする 等々、簡単に見せかけて、実は英検一級レベルの単語や専門用語よりも真意がわかりにくいです。


以前も書きましたが、言葉は、発語者の価値観や、状況といった、不安定な因子の上にふんわりのっかっています。
基本ワードであればあるほど、発語者の価値観や状況を明確にしない限り、「この日このときこの言葉、が、何を示すのか」は把握しきれていません。


しかし、あまりにも日常的な言葉なので、さしたる警戒心もなく、ふつう、と言ってしまう私たちがいます。
普通は、何によって規定されて普通たり得るのか?なんて、議論する機会はなかなかありませんね。

「普通」は、社会通念上、共有済みとみなす概念となっているのです。
が、言葉に細やかな子達は、共有しているとはとても認識できず、困ってしまっています。

言葉に細やかな子達は、辞書的な言語理解をしていることが多いようです。

辞書的な普通、社会通念上の普通

まず、辞書的な普通の意味を示してみます。

ありがちな…
いつも通り……
一般論として…
真ん中…

normal, average, ordinary, popular, usual, middle, regular, common, mean, general, trivial, standard
これらの「ふつう」も言葉として、全て、発語者それぞれの価値観の上にふんわり構築されています。

それにも関わらず、まるで特別で厳格な規定を押し付けるかのように、ハイストレス状態の子達の目や耳そして脳に襲いかかります。

このため、一部の繊細な子やピュアな子達は
「普通が求められている!普通にならなきゃ」
というストレスによって、何度も繰り返しやらかしてしまうというスパイラルに陥ることもあります。

社会通念上の普通

辞書にはないけれど通じる使い方もあります。
社会通念上の普通です。
これは、どのようなものでしょうか。

妥当性が高い…
認知度が高い…
都合がいい…
想定内の…
多数派の…
無理がない…
分かりやすい…

ふわっとしてますね(笑)


さらに、発語者のオリジナルのふつう、もあります。

たとえば、先生にとっての「普通」って。

先生のお気に入り軍団は…
先生が前に担任していたクラスのお利口さんは…
先生の理想では…

に過ぎません。親の「普通はこうするでしょ!」みたいなのも似てます。

いずれも、辞書的な意味からは大きく離れています。


ASDの子達の思考に介入しないまま、学校に行かせると、数日から数ヶ月で
「私は、普通ではないんだ……」
と思い込み始めて
百ゼロ思考も手伝って
「普通でない=変、悪い」と判断し、暗い顔になる、と思った方がよいでしょう。

先生にとっての普通とは

学校の先生は、
多数派のリーダー格として、
学校という戦場を勝ち馬に乗りっぱなしで走り抜け、
学生時代はいい思い出で、
大学出てすぐ先生先生と呼ばれ、
有無を言わさぬ徒弟制度的、封建制度的な、「指導係がカラスは白いと言ったら、自分は至らず今まで黒だと思っていましたが白ですね本当に勉強になります」ぐらい言え、という指導を受けて育った、
ある意味、戦後教育の犠牲者と言いますか、かわいそうな人たちです。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、そのような方々がたくさんいらっしゃいます。


この時代の教諭たちは、集団指導のエキスパートではあっても、浮きこぼれ落ちこぼれやはぐれ雲の扱いは専門ではありません。

誤差だとしてやってきたため、配慮したくてもうまくいかず、バグっている…、という方々もいらっしゃいます。

反対に、発達支援と合理的配慮について徹底的に勉強して配慮をしてきたけれども、該当児の担任が変わり、配慮が少なくなったとき、大きな反動が出てしまった…、などの苦い経験・フィードバックを経て、学校での合理的配慮が短期的なストレス軽減策でしかない可能性を感じてしまったという方もいらっしゃいます。


いずれも、他者多様な価値観・考え方を多様なまま「へぇそういう考え方もあるんだ!知らなかった、面白いな、教えてくれてありがとう」ととらえてはくれないと思った方がよいです。

多様化に適応できない先生だけでなく、社会が変わる前に担任が適応しても、この子は社会ではじきだされるだけなのではないか、と悩まれている先生も、配慮について悩まれご自身の適性とも合わせた結果、今があると思った方がよいでしょう。


無理もありません。
さんざん「一丸」「絆」「力を合わせて」という価値観一辺倒でやってきて、近年、突然、「まとまりたくない子への配慮を」と言われ、多様発達への多様な対応を求められているのですよ…。

先生がパニックになるのも無理ないです。

普通が逃げていく

一番の問題はこれ。
ゴールが逃げるかんじ。

負荷をかけられながら上を目指す集団では、「普通」の中で、どんどん普通域が上へ上へとずれていくという現象が起こります。

普通未満(中央値未満)とされる者が普通(中央値付近)に寄っていくことで、平均値が上がっていき、普通(平均値)の上昇が進むと同時に、
負荷を活かして集団に寄せる仕組みを持たない者(ほめないと伸びない子)が取り残されるとでも申しますか…


言葉自体が、それぞれの価値観の上に構築されている主観的なラベルに過ぎない上、「普通」の指すものそのものが上位能力者集団側へとずれていくことわけです。
辞書的な、つまりアスペルガーが理解しやすい言語感覚から、離れていくのも道理です。

めんどくさくてごめん

ハイストレス下にある人は、発達障害でなくても経験がおありかもしれません。
どうでもいいことをごちゃごちゃと悩んでしまうのです。
「普通」と言われただけで、ぐちゃぐちゃ考えてしまうのです。

普通、普通、と何気なく声かけされるだけで、どんどん人間不信になっていく可能性があります。

言語に厳しいお子さんには、このエントリーを見せてみてください。
「わかるかも。でもここは私と違う」
などの突っ込み入れてくださると嬉しいです。


ことばは、そのとき発する人によって状況によっても、異なる意味を示してしまいます。

また、受け取り手も、発語者の言葉の意味を正確に読み取れるかというと、できるわけがないのです。


誰にとっても普通、という普通は、存在しません。
存在はしないけれども、多数のひとがうすぼんやりと夢想し共有している社会通念や「空気」と呼ばれる多数派絶対主義の仕組みを知ることは、きっと役に立ちます。

ただし、
「普通」は、近付こうとすれば、遠ざかったり消えたりする、逃げ水や蜃気楼のようなものです。


普通を目指して躍起になると普通の沼にはまります
おすすめしません

普通を求めてしまうのは不安であるからだと知ると、少しほっとできるかもしれません

普通じゃないけど悪くない、変だけど幸せそう、こんなスタイルを目指した方がたぶんクオリティオブライフは上がると思っていますがいかがでしょうか

読んでくださりありとうございました!もしかして発達グレー研究所 ただのおばちゃんでした。

www.asdadhd.jp