「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

私は毒親?

毒親になってしまわないかという恐れにとらわれている親御さんへのメッセージです。

厳しい親と毒親の曖昧な境界線

大人の当事者と話をしていて興味深い話がありました。許可を得て掲載します。

「勉強や仕事がうまくいかず、自己肯定感が低かったときは、両親との折り合いが悪かった。
毒になる両親のせいで人生がうまくいかないと思い込っていた。」

「しかし、人生の歯車がかちっとはまり、順調に回りだしてからは、自然に親を客観視できるようになった。
悪いところもあったけれども、尊敬するようにもなった。」

これ、あります。


毒でしかないスーパー猛毒親は確かに存在します。

しかし、そのなかでもスーパー猛毒親と、大人になった子どもが「毒親だった」と主張するケースとが、一致しないことがかなりあるようです。


客観的に見て熱心で懸命な親だったのに、歯車が噛み合わず人生がうまく行かなかった子側が親のせいにしているケースも、
客観的に見て超毒親なのに、子側が気付かず無理矢理レールにのせられたら結果オーライで、なんやかやいいつつ今も親子仲良し、というケースも、
あると感じます。

この現象はなぜ起こるのでしょうか。


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☆子供側の現状満足度によって、対親評価は変化します

私見ですが、親の関わりの多様性もさることながら、受け取り側の受け取り方の偏りも、注目すべきだと考えています。
自ら偏りと歪みを極めたおばちゃんとして(笑)。


親が、思考年齢が思春期前である子供に対して、たとえ客観的にみて高圧的、抑圧的、理不尽な養育態度であったとしても、超放任であっても超過保護であっても、子が親を毒親認定するとは限りません。

親が子どもに何をしたかということは、実は問題の本質ではありません。
これがおばちゃんの結論です。


親が何をしたかということが全く無関係であるとまでは言いませんが、子供の側の事情にも大きく振り回されるのです。

個人差はありますが、敢えて例えると、
・反面教師から学ぶ力が弱い
・信じること、愛すること、思いやることへのこだわりが強い。二元論的思考(白黒、百ゼロ思考とも)。そのため「信頼」「愛」「思いやり」「優しさ」等を受容するストライクゾーンが狭すぎる
・ストレスがストレスを増幅する思考のクセ
・子供の自由を制限する親は悪い親、等という現代的な社会通念
に振り回されている


そして、端的に言ってしまうと
・子が、現状に対する満足感を持てない
なのではないかと思うことがあります。身も蓋もないですけれど……。


「私の親は毒親だった」として親を全力批判していた方でも、
認知行動療法等を通して人生が好転したとたんに親を好意的に見るようになった、なーんて話、いくらでもあります。
また、
絶対に許せない、進でほしい!という評価から、反面教師としてはよかった。などという評価に変わることもあるあるです。


親子何不自由なく、仲良く、幸せな親子関係を楽しんでいたのに、人生が暗転したあとにそのギャップに耐えられず、何か原因があるはずだという思いに駆られ、
とたんに親を毒親だと批判し始める…
これもまた、とてもよくあることです。

ポリティカルコレクトネスは育成責任取りません。惑わされないで!

親の責任というにはやや間接的な面が強いと感じます。
毒親とは、その時点での「子の人生満足度」を元にした主観的な評価に過ぎないのです。
(客観的に見て毒親はいない、という意味ではないですよ!)。

はめねばならない型もある

では、親はなにを目指せば良いのでしょうか。

子どもからの評価と、親のすべきことは別、と割り切るのも一つのアイディアです。

強制と支配が目的となっている、真にろくでもない親というのは確かにいくらでもいますが(自戒を込めて…)、
自由を制限すること自体、毒親の所業、と言われかねない昨今の論調には疑問です。

・親の限界として、子ども時代の日々を支配してしまうことを詫び、
・親の価値観以外の価値観を、集めさせ、
・親の支配から逃れられるだけの生活力を身に付けさせようと試み、
・愛着形成に失敗した子が親を超えることで自己肯定できるよう、敢えての無能ぶり反面教師ぶりを見せ
・親を含む他者の毒を、自力で解毒するシステム構築のため思考介入する

この過程で、自由を制限する…それは毒親の所業なのでしょうか?

未来を生き抜く基本装備、ってあると思います。
それらを身に付けさせるための厳しさを、毒と決めつけて避けるのは、親としては楽ですし親子仲良しでいられます。
しかし、お子さんにとっては大きな機会損失ともなりかねません。



自らを反面教師として差し出す親は毒親か

反面教師から知恵を習得するコツをインストールしてもらった子ども側は、割り切って、うざい親や教師、上司を反面教師として自分の成長に役立てることができるでしょう。

猛毒の反面教師から学んで成長したという実感は、かえって自己効力感や満足感をもたらします。


親が子に対して的確な介入が出来ていれば、 「歯車かっちりはまって回ってる」という感覚を親子で互いに感じます。
しかし、親の介入が的確とは限りませんよね。
親御さんたちは、自省するからこそ、悩み、混乱します。
この関わりは、愛ある厳しさなのか、支配なのか。
自立にコミットできているのか、否か。
自らに問い続けるから苦しいのです。

介入を行う親として、サポーターとして、私自身もいつも悩み苦しむテーマです。

自信がない、不安な親だからこそ、自らの身を、反面教師として差し出すことができます。また、反面教師から学ぶ機能の重要性も理解できるのです。

毒親になりたくない!というわがままを押し付ける親は猛毒

毒親になってはいないだろうか…と自戒しながら関わるのは、大切だと思います。

しかし、毒親にならないことばかりを気にしているのは、いかがなものでしょうか。

本来であればがっつり思考に介入すべきときに
「子供の人生は自由であるべき。」
「親が口出しすべきではない。」
として、小さな頃から美しく突き放す保護者がものすごく増えています。
発達凸凹当事者であり発達凸凹のファンとして、ひそかに懸念しています。

美しく突き放すことは、親として楽です。
突き放されてこそ育つタイプもいるでしょう。

しかし、突き放されて自立する子より、人生の迷子になって絶望する子が多いんです。
発達障害傾向のある子達は、特に、一般論的な子育てが合わない可能性があると思ってください。



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ひとは多様です。

指針が必要なタイプの子にとっては
「子どもの自由にさせる親」「意思を尊重する親」こそが超猛毒親になり得るかもしれません。

また、束縛を嫌い、自由がなければ生きられないという思いがものすごく強いタイプのお子さんであるほど、
子ども時代に厳格なしつけや教育をされることによって、
かえって、あとの人生何十年、ほどよく自由を謳歌できてよかった、というケースもあります。

誰にでも通用する子育て手法など、存在しないのです。
「毒親になるな」という社会通念は、育成責任を取ってはくれません。


続きます
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