「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

祖父母世代と発達障害の孫1

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明治大正昭和では、無鉄砲破天荒やんちゃ、平成ではADHD

以前の記事にも綴りました通り、かつて発達障害という概念は一般的ではありませんでした。

発達障害に限らず、人格障害も、今で言う統合失調症も(精神分裂病と呼ばれるようになる前には)、奇人、変人、きちが○、○ぐるい、であって病気だとか障害だという認識はほとんどなかったのではないでしょうか。


さらに、病名は治療のためにつけるもの。障害名は障害者年金など福祉にお世話になるためにつけるもの。祖父母世代の方々は、こういった現実を、肌で感じています。
福祉のお世話になるわけでもない、治療できるわけでもない、なのになぜ、わざわざ障害という名前を付けるのか?不信感でいっぱいになるのも当然です。

現状、早期診断と子育てサポートを行うことで障害を緩和できるという神話に基づいて、発達障害診断の裾野がものすごい勢いで広がっています。

おばちゃん断言したくなるとき

はっきり申し上げまして幼児期につく「発達障害」と、25歳30歳過ぎてつく「発達障害」は、名前こそ同じですが診断の意味することが大きく異なります。
前者は「予備軍」でしかありません。
一般に言われる「発達障害は一生なおらない」というのは、後者のことです。
幼児期は、発達障害と言っても飽くまでも予備軍にすぎません。
挫折と克服、誤学習克服方法等の心理テクニックをインストールし、適切な成長が促されれば、問題なしとなることも当然あります。
(そのためには、ノンストレスで育てた場合の知能最大値より少しばかり削る必要があるかもしれません)


しかし、支援や医療の現場で「二つの発達障害」の大きな違いを明確に説明するケースは多くありません。

公費で知的な習い事をさせることが簡単にできたり、「発達障害は親のせいではない」というパワーワードが浸透してきたことにより、発達障害であるという診断を欲しがる親が増えました。
医師としては、将来、「見落とされた!支援が受けられなかった!損害賠償請求だ!」となることは避けたいです。
このような事情により、「発達障害児」が加速度的に増えました。

語弊があるかもしれませんが、子どもの発達障害という概念が持つあやふやさに近い概念として、「低身長」があげられます。
それ、障害じゃないでしょう?個性でしょう?そもそも、まだ伸びるでしょう?伸びない前提なの?遺伝的障害だとでも言うの?じゃあどっちの家系のせい?
無知だから、ではありません。実際に「発達障害」という概念が新しすぎて、また、いい加減すぎるのです。
祖父祖母世代に限らず、「発達障害」に対して、なんとも表現しようのない違和感を抱く人がたくさんいるのは、当然です。


祖父母時代にもいた発達凸凹

どんなにボケッとしていても、無口でも、騙されやすくても。

どんなに攻撃的で獰猛で猜疑的でも。

毎日車に体当たりしても。

飽くまでも「そういう子」でした。
今の言葉で言う「個性、多様性」として、認識されていました。

ヒソヒソは、されていたでしょうし、
もちろんそれなりに問題視はされていましたが、「鉄拳制裁なり、座敷牢に幽閉するなり、リアルにお灸をすえるなどして、抑え込んだりガス抜きするもの」
あるいは、
「どうしようもないもの」と見なされていました。

世間は、「嫌ならあの子に関わるな。関わる方も悪い。」という方針で統一されており、
やんちゃな子についても「おじいちゃんもお父さんもそんなかんじだった。そのうち自然に落ち着く」

問題を起こすのは周りのせいだ、などという親は、明確におかしな親とされました。



10代以降、身辺自立ができているけれど家で持て余した子が、家長の伝で、お寺や教会、農家や町工場に住み込みで働くといったケースもありました。
そこでは、体を使う、役割を得る、火を使う、小さなコミュニティで人と関わる、生き死にを体感する、という経験ができました。
今思えば、特性を緩和するのに最高の環境であり、昔の人の知恵というものの深さを感じ入ります。


また、戦後、お見合いによりかなり特性をこじらせた無茶苦茶な男性でも結婚できました。
家庭の中で、妻子は、生きる知恵として、こじらせ男子の対処法を構築しました。

もちろん、家庭内暴力の連鎖など、問題もありました。
でも、暴力に寛容だった時代は、家庭内暴力が次世代に連鎖しても、まあ「みんな」こう育てられたしな、こんなもんだったしな、と許容されていましたので、苦しいはずの家族も「どうして私だけがこんなひどい目に合わなければならないのか」と思い悩まずに済みました。
綿々と受け継がれた確固たる価値観の中で、必要以上に迷わずに、生きることができました。

虐待、という言葉も一般的ではありませんでした。虐げる行為と、しつけの境界線は、親または家長が決めるものだったからです。
別の価値観のもとに生きる他人が、外からやいのやいのと口を出すことではありませんでした。

家の価値観の中で生きるということは、現代から見ると不幸かもしれませんが、その時代に生きる者にとっては「外の自由を知ることこそ不幸」であったかもしれません。


姑不在の核家族で、産休育休をとり、夫も社会も家事育児協力して当たり前だという世論を当然と思い、子どもを園に預け、金と経済力とキャリアと婚家からの自由を手にした、現役育児中母親の価値観。

同居の姑にきつくダメ出しされながら、家の価値観の中で地位を確立していった祖母の価値観。

子育て方針は、価値観の究極型です。一致するわけがないです。

価値観は一致させればいいってものではありません。
価値観は、コレクションカードに似ています。
似ているカードも、違うカードも、集めて、眺めてみましょう。何かが見えてくるのではないでしょうか。


続きます
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