「もしかして発達グレー研究所」凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

祖父母と発達障害の孫2

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発達障害という概念がなかった時代に子育てを経験なさった祖父母世代の方も、近年、NHKのあさイチや、小島容疑者の新幹線無差別殺傷事件などを通して、発達障害という言葉に触れる機会が増えました。

インターネット、新聞記事、あさイチなどNHKの発達障害特集をご覧になりますと、祖父母世代の方は、さまざまな反応を示されます。


これは大変な障害だ、と思われる方、かわいそうにとか、子どもらしいほほえましい等と感じたり、親のしつけが甘い、悪いと感じる方、いらしたと思います。

これまで祖父母世代の感覚は、現役子育て世代の多数派に近いものでした。
つまり「発達障害は甘え」、あるいは「親の育て方、しつけ方のせい」という感覚です。
一部、意識の高い祖父母世代は「どうやら時代が違うらしい」と感じ、現代感覚の子育てを学ぼうとしていらっしゃいます。

価値観を戦わせないで

発達に偏りのある子を育てている現役子育て世代としては、価値観の違う世代に口出しをされるのは不本意なようです。
不愉快だと思うこともあるでしょう。

祖父母世代から
「もっと厳しくしつけないと」
「甘いのではないか」
「ダメなものはダメと言わないと」
と言われ、
「時代が違うんです!」とか
「この子は障害児です!」
「叱ったら二次障害になってしまう!」
と叫びたくなる悲しみ。よく見聞きします。


「時代が違う」? 具体的に何が違う?

1950年代には、都市部でもまわりにいわゆる「見てわかる障害者」がいて、一般社会の一部を形成していました。
知的障害児も、ダウン症も、普通級にいるのが日常でした。当時はダウン症の合併症として多い心臓の病気を治せなかったので、高齢のダウン症の方は多くはありませんでしたが、お寺や神社で掃除をしたり、氷屋さん、町工場を手伝ったりしていました。

障害児支援が進んだ今では、「見てわかる障害者」は、子ども同士のいじめを回避するため、普通級ではなく、比較的安全な学級に避難するケースが増えました。
一部ではインクルーシブ教育として、重度知的障害者も含めて通常級を編成するところもありますが、珍しいです。


昔は見てわかる障害児に隠れていた、発達に偏りがある子が、今、クラスで一番浮いて見える…これは、そういうわけです。
特に、特別支援の人気がある都市部では、「普通級の子ども」の基準が、ひと昔前よりも、エリート側に来てしまっている印象です。

基準に振り回されてこそ見えるもの、見えなくなるもの

基準、というのもいい加減で、
現役子育て世代も、祖父母世代も、「基準となるこども」は、元保育士であるなどでない限り、基本的に「我が子」です。

おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、それぞれが特に気を付けなければ、「自分のスタンダードは、他の人のスタンダードとは違う。もちろん社会のスタンダードとも違う」と、お互いに気付くことができません。


祖父母の方々は、
「我が子を、ふにゃふにゃから一人前の大人、子どもの親にまで育て上げた」という実績があるのですから、それなりの自負があって当然です。

祖父母の知恵を活かそう

私は、祖父母曾祖父母世代伝来の知恵を論理化して学ぶ意味を強く感じています。
発達凸凹の子の脳について、遺伝との強い相関を感じているからです。
今の基準で言えば発達障害とされるかもしれない祖父、父あるいは祖母、母が、それなりに社会適応した(または二次障害が起きた)経緯の詳細を知ることには、
現状海外の統計データ的に正しいとされる育て方以上に、直接的に有益となりうると考えています。


祖父母世代の知恵とほめ療育は別物ではなくバランスの問題

祖父母世代の方が、お孫さんの様子を見て、実子の子どもの頃に似た挙動を見ては安心し、実子の子どもの頃と違うと「?」「育て方のせい…?」と思うのは、当然なのです。


賢明な祖父母の方々は、

・「我が家のスタンダード」からズレた孫
・「我が家のスタンダード」通りに育っているのに障害だからとなにやら特殊なところに連れ込まれ、意味があるのかもわからない障害児教育(療育)を施されている孫

そんな孫と子に、大変深く複雑な思いを抱きながら、「自分の子どもではない…」と自分に言い聞かせ、手出し口出し、ぐっとこらえていらっしゃいます。
「私だったらもっとうまく育ててあげられるのに…」と、喉から出かかってグッと飲み込むことも数知れず。


長期間蓄積し続けたおじいちゃんおばあちゃんの知恵を、孫の人格形成に関するアドバイスてして提供すれば、現役子育て世代には苦言と受け取られ、「傷付けられた」と言われがちです。

でも助けてあげたい…そんなジレンマにさいなまれつつ、「孫がどうなっても我々祖父母の責任ではない…そう思うしかない」心の中で繰り返し、我慢なさっているのです。


確かに、意識の高いおじいちゃんおばあちゃんの中には、子どもを数人育てた経験から、力点の置き所の試行錯誤も、忙しい現役親よりも効率よく出来そうな方がいらっしゃいます。
足りないのは体力だけ、それでも、それなりに鍛えているし、時間と資金力でカバーできる部分もあり。

ともなると、かわいいかわいい孫の健全な将来のため、手も口も出したくてたまらないのも当然です。

「自分がこの子のための役に立てるのならば、喜んで役に立ちたい!」この点では、親が子に対して感じる気持ちと、祖父母の気持ち、なんら変わりがありません。

自分の煩悩はほとんど満たし終えた祖父母の方であれば、なおさら「孫のために役に立ちたい」と思われることでしょう。

昔とは違います。でもヒントもポテンシャルもある

一見、「昔とは違う!」と決めつけたくなる祖父母世代の経験則ですが、発達障害グレーゾーンの研究よりもずっと長期間継続された、定点的な観測に基づいた、個体にフィットした知見である可能性を否定するのはもったいないです。

保護者、特に母親の精神的な負担が増えてしまうのであれば、活用することをおすすめしません。
しかし、当研究所のブログをご覧頂いてきた親御さんは、「どこが昔とは違い、どういったところは今も通用するのか」見極めるバランス感覚をお持ちだと思いますので、物は試しでやってみるのもいいかもしれません。

我々も、発達凸凹の大きなお子さんと、親御さん、祖母、祖父の方々との関わりについて、じっくり考察していきたいと思います。


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