もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

承認欲求との付き合い方

メモを介した関わりについてのエントリーでは
「あなたの話している内容を私が好きとは限らない。しかし、あなたのことは好き」
とつぶやいてあげると、お子さんが陥りやすいガチガチの結果主義を緩和できるかもしれないとお伝えしました。

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お子さんに多動性があれば、個性によっては、ガチガチの結果主義成果主義で育ててもよさそうと判断するときはあります。おばちゃんにも。

ただ、ガチガチの結果主義は、諸刃のエクスカリバー。
プラスに作用するのはせいぜい大学受験、資格試験といった、個人プレイの範囲までです。

ガチガチの結果主義と、家庭生活を含むチームプレイは相性があまり良くないです。
深刻な鬱のもとになりやすいです。

ガチガチの結果主義は、承認欲求へのこだわりをこじらせた結果。

ですから、 結果主義を今以上に硬直化させないために、下記のようにして承認欲求との付き合い方を意識させるとよいでしょう。

穏やかな気持ちを取り戻させやすくなり、人当たりがよくなります。

トップ付近にいないと承認されない

承認欲求は、生存欲求がなまってしまった現代人の多くが抱えています。

園 学校 家庭 ありとあらゆる活動で、良くできた、がんばったねとほめられたり、ほめられている子の得意気な様子を見たりして、現代っ子は、能力のわりに承認欲求がやたらめったら強まっていきます。


100-0(ヒャクゼロ)思考の強い、成功(楽しいこと、快感、成果)にしか価値がないと思い込んでいるお子さんを、自由尊重系、あるいはほめほめ一辺倒系の手法で育成すると、強くなりすぎた承認欲求を持て余すようになります。

寂しさ、注目されたい欲求、相手になんらかの影響を与えたい欲求…つまり承認欲求とのほどよい付き合い方というのを知りたいところですが、あまり現実的でないようです。


多くの人は、小学校高学年になるまでに、承認欲求を克服したかのような挙動をとるようになります。

ほとんどは、「身の丈を知り諦める」「飽きる」「自分のことで忙しい」といった形で、承認戦線の第一線を離脱するだけです。
なにかの拍子、たとえば恋愛や結婚、育児などのタイミングで、承認欲求がひとたび発動すると、しばらく承認欲求に振り回されて、そのうち疲れるなどしてまた承認欲求にフタがされます。


一方、承認欲求へのこだわりを自動的に諦め補正するシステムがない子の場合はどうでしょうか。

承認されたい、関わってほしいという欲求は止まるところを知らず。
自分のほしいかたちの承認へのこだわりが強まります。


小学校高学年ぐらいからが多いですかね、
見張られないと勉強しなくなる、
過度な指示待ち人間になる、
他人に100パーセント全力の友情(極上の承認)を求めるあまり 孤立する、
甘やかしてくれない人、出来ないこと全般を拒絶するようになる、
あるいは注目がほしくて問題行動を繰り返す、
などなど、
「うわ!子育て失敗した……」と感じがちなフェイズに突入します。


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愛情と承認欲求

承認欲求をこじらせる原因は、何なのでしょうか。

本当にそれぞれなので、おばちゃんでも、1時間くらいはインタビューしないと精度の高いことは言えません。


きっかけとして、目立つ、わかりやすいもののひとつは、本人以外の兄弟姉妹や、他の子供が自分よりも尊重されている、と思い込んでしまうことです。

理由は様々です。
「親の愛」「親としての正しい言動」「丁寧に話を聞く」全て、諸刃のエクスカリバー。

受け取り側の回路の状態によって、注げば注ぐほど毒となります。


・けんかの仲裁(裁判、judgment)を大人がする
・悪い方をたしなめる
・非のない方や弱い方をかばう
これらは、社会通念上は正しいと言える言動です。

親や教員として「正しく」行動するほど、受け取り側が受け取り側の「正しさ」へのこだわりを強め、混乱していくケース、発達障害傾向との相関は強いと思います。

善悪二元論で育てられてきた上で、自分の正義と他者の正義がぶつかるとき、発達障害傾向がある子は混乱します。


こうした混乱の中、
・全体像ではなく、細かい違い 刹那的な傾きに目が行く認知の習慣
・親の愛=心地よさ、優しさ、受容、であり不快であるはずがないという思い込み
・非言語記憶の強さ(※発達障害の特性)
・親のことが大好き、または強さに屈服
・愛されているという確信がある、または確信したい
・確信しても飽きずにひたすら親の愛を欲しがる
こういった性質が化学反応を起こします。


その子によりますが、折れるか、正義を小バカにするか、自分の正義へのこだわりを強めるかしがちです。


愛=無条件の承認であり心地よいものだと思い込ませてしまっていると、心地よくないものは愛として認めなくなります。


たとえばきょうだいげんかでどっちが悪いか、なんて判断を親がし始めようものならば、絶望、半狂乱です。

心を守るために、自身が受ける承認(愛)ときょうだいの受ける批判は当然のもの、きょうだいの受ける承認と自分の受ける批判は不当で不快、と受け取る思考回路を獲得してしまうのではないかとおばちゃんは、妄想しています。


親御さんや担任等が、愛を注ぎたい、子を正しく導きたい、と願って子育てなさるとき、お子さんも愛や正しさを至上の価値とし、心のどこかで「親の愛とはこうあるべき」「自分が正義」といった詳細な幻想を確立してしまう現象が起きやすいかもしれません。


学校などでは、トラブルの元には愛情不足があると考えるのがセオリーのようです。
確かに、「親の愛とはこうあるべき」「自分が正義」という理想化は、愛情不足でも起こるので、現象だけで判別はしにくいです。


しかし、この読みにくい長文ブログを我が子のために読むような親御さんが、愛情不足かと言えば、違うとおばちゃんは断言します。


それでももし愛情不足かな、と思い悩んでいるならば、それは親御さんもお子さんも、溺愛とのバランスをとろうとしている最中ということ。

むしろ愛情いっぱいすぎるためにバグっている親子ですから、次のフェイズに進む準備は万端です。


愛情不足と、愛情が確かすぎたために信じすぎたバグは、一見すると似たパターンのトラブルを起こします。
後者の方は、リカバリーが簡単です。

頭の片隅に入れておいて頂ければと思います。


発達凸凹児のいる多くの家庭ではこのように、「親は平等に接しているつもりなのに、常に誰かが愛情に飢え、承認欲求をこじらせている」という問題が表面化しがちです。

また、大人は気軽にお子さんに「他の人の気持ちを考えて」と言うことがあります。
この綺麗事は、「自分の気持ちは軽視されている…」「自分よりも他人を尊重した!」という怒りや失望につながりやすいので、あらかじめパッチしておくのが良いでしょう。


他者に興味がないようでも、差違にはものすごくこだわる子っています。潜在する承認欲求はかえって強く、クラスメイト、兄弟姉妹、保護者と自分の落差については感覚過敏とも言えるスーパー敏感さを持ちやすい子もいます。

出来た!という結果を手にする度にほめられ続けるとき、その嬉しさに依存してしまう子がいます。
そして、自意識過剰なほどに常に他者と比較して、なにかが劣っていればそこばかり注目して沈んだり自暴自棄になったり、逆に高慢ちきになったりします。


ちなみに、発達障害の問題というのは、表面化しないとケアされません。
親が関われるうちに表面化して、そしておばちゃんに相談しに来てくれて良かったなといつも思います。


ここから、内容を重複させながら、少し複雑なことをへたべたと書きます。
読みにくさが増しますので、お急ぎの方はどうか下へスクロールの上、別のエントリーへお進みください。

「愛情不足」って概念は雑すぎて全く使えない

「こういう状態の子は愛情不足と呼びます。
親はたっぷり甘えさせ、受け入れ、愛情を与えてあげましょう」というガイドラインでもあって、自治体とかが配る子育て悩みパンフレット大抵書いてますけども。
あれ毎回がっかりするんですよね……
誰にもメリットないのに~


発達凸凹の子を育てていると、親としては愛しているつもりなのに愛情不足と言われてショックを受けることがあると思います。

私に言わせれば、愛情不足ではなく、
・承認欲求が肥大しすぎた
及び
・承認欲求を満たしてない状態
なのだと思うのですが。
なぜか社会通念上、承認欲求不満=愛情不足と表現する慣習になっています。

おばちゃんとこに相談に来てくださる方々の多くは、
愛情不足を疑われた経験がございます。


大切なことなので繰り返します。

はっきり申し上げまして、愛情は、有りすぎなぐらいのケースが多いです。
足りてないと思われるケースはないです。

お子さんの望む愛情の伝え方をしていない、ということはあるでしょう。
しかし、お子さんにとってどストライクな愛情を注ぐことも、諸刃の剣でして、
かなりの確率で毒になります、
「自分の求める形でしか、愛として受けとることができない」という偏りに陥ってしまいかねないですからね。

愛情の伝え方も受け取りかたも人それぞれではありますが

人は、親に注がれた愛の形や、身近な人の受けている愛の形、または、親の愛が思ったような精度がなかった場合は無い物ねだり的に理想化し、こだわりがちです。

早起きして手の込んだお弁当を作ること、
作ってもらったものを残さず食べること、
記念日に一緒に過ごすこと、
サプライズプレゼントがどストライクであること、
共感的に話を聞いてくれること等、
誰にでも共通する愛の伝え方があるかのような言説がありますよね。

定型的な、つまり価値観と人数の中央値付近は、どうやら、そうなってます。
コンセンサスとして、ガチガチに固まってます。

そういう愛の示し方を無意味だとか重荷だと感じる子は、かなり生きづらいです。
単なる価値観の違いにすぎないのですが、標準値により集まってる人々からは、ワガママだとか、冷たいと揶揄されがちです。

これらの「コンセンサスとしての愛情の示し方」は、
愛情がないのに「愛情がある」と誤解させる言動でもあるので、
不誠実な気がしてしまうこともあります。
難しいんですよね、相手に対する誠実さと、言動において喜ばせることの折り合いってね。

ご家庭で、親御さんの経験や価値観を踏まえて聞かせておくと良いかもしれません。
あっ、
「何億人もいるうちの、一人の○歳のロールケーキ好きの一意見にすぎないけれども」と言い添えることをお忘れなく♥️
(ロールケーキはアレンジしてねwww)


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比較による承認

他者との比較に基づいた承認を求める習性は危険です。
一生エリート街道を走れる子以外にとっては、心の病気のもとになり得ます。

ところが、他者と比較して同じぐらいか、優位になりたがる習性というのは、
うまく扱えば個体及び集団をベースアップに導く習性でもあります。
ですから学校などで当たり前に利用します。
多くの人が、比較における優位になりたいとか、同調圧力によって成長し、なまけることを侵害されてきました。

学校教育等、集団向けの関わりを何気なく受けた人は、大人も子どもも、無意識のうちに、比較を元に承認欲求を満たそうとするようになります。

だいたいの人は、大人になるまでに適度に試行錯誤して、承認欲求の自己処理を覚えていくのですが、発達凸凹で特に自閉的な子の場合は、持続可能な承認欲求補完システムを早期にプログラムしてあげる必要があります。

続きます
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