「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

授業を聞かない!

社会における授業とは、
わかっていてもわかっているなりに、
わからなくてもわからないなりに、
聞いて、書いて、
繰り返し脳に刷り込むべきもの!です。

このシステムを完備していない人たちのお話です。

彼らの言い分

座っては居るが上の空、あるいは、座っていない彼らに聞き取りをしますと、ポツリポツリと思いの丈を話してくれます。

・勉強にならない
とっくに教科書読んで理解済み、
本で読んだことがある、
間違ったことをたくさん言うので聞きたくない、等

・興味がない
もっとしたいこと、やりたいことがある
みんなが聞いているからといって聞こうと思うほど、「みんな」にも授業にも興味がない

・わからない
聞いていても理解ができない、
理解したつもりでも点が取れないなど、無力感徒労感を感じている、
頑張り方がわからない
記憶すべき重要事項とそうでないものの境界がわからない


「なんで他の子達はあんな授業を聞いていられるのか不思議」と言う子もいます。

☆わかることのすっきり感を求めすぎている

前者2つ、勉強にならない、興味がない、というのは高IQのお子さんに多いようです。
そんな彼らは、「学校は勉強するところ」という言葉を素直に受け取りすぎている可能性があります。

「勉強しなさい」ということばの勉強は、知識を積み上げなさいという意味であることが多く、高IQの子の言語回路には「勉強=正確な知識を増やす」とインプットされていることが多いです。

高IQにとって、小学校で求められる国語算数理科社会の「正確な知識」は、5年生の夏休み期間だけでもマンツーマンでみっちりやれば全て頭に入るボリュームでしかありません。時間をかける意味を感じられないのは当然です。
まして、クラスメイトの、面白くもない珍回答を延々聞かされ、相槌を打たされ、「わかってきたかも、うーん、でもなんか違うかも」という演技をし、「先生のおかげで今日初めてわかるようになりました」という眼差しを作らなければ嫌われる、だなんて夢にも思っていないでしょう。

☆「勉強」という概念の拡大を!

彼らにとって大切なのは、「勉強」の概念の拡大です。

「勉強=正確な知識のインプット、知的好奇心を満たすもの」としかとらえていないと、いくつになっても授業は聞かず、人の話も聞きません。
本のほうが、先生の説明よりも、よっぽど正確な知識をもたらしてくれる可能性が高いからです。

先生は、教育の専門家と言っても、4大出たことと多少のコネがあること以外に特別な技能は必要とされていません。
まして、教科の専門家ではありません。
高IQの子たちの知的好奇心を満たすことのできる先生は本当に稀です。

勉強する、という言葉には、重層的な意味があることを刷り込みましょう。
正確な知識を積み増すことは、勉強の意味するところのごく一部にすぎません。

「間違うことから始めて、試行錯誤すること。多様性、多面性を受け入れる精神を作ること」これらは、とても大切な勉強にもかかわらず、明言される機会が少なすぎるので、懸念しています。

「勉強=正確な知識をインプットすること」、と思い込んだままですと、正確な知識や事実を尊重しすぎてしまいがちです。
結果、「事実を言って人の心を傷付ける」などやらかし、社会性不足だと見なされるリスクが上がります。

☆正確な知識の積み増しなんて二の次三の次、な文化圏=公的義務教育

学校で行う勉強にはいろいろありますが、実は、正確な知識の積み増しはあまり重視されていません。

特に、変わっているが頭のいい子にとっての小学校は、国語算数理科社会美術音楽体育など多様な科目を利用して「嫌いなものでも適宜こなす、社会人としての基礎」を身に付ける場所です。

小学校では、いわゆる学習内容そのものよりも、
時間厳守、フォロワー或いはリーダーとしての態度、調整力、人間関係、掃除、粘り強さ、傷付いて乗り越える経験、価値観が違いすぎる上司との関わり方、学ぶ姿勢、出来ないこと嫌いなことを投げ出さない、等々
こういった課題の達成をすることで
社会の歯車になれるように訓練する場所である
と教えてあげたほうが、
お子さんによってはしっくりくるものです。

学校で求められている力とは

学校で求められる能力は、学力ではありません。

「黙っている力」
「踏み絵を踏む力」
「カラスは白いと言える力」
「正解のない問いや、未知の研究に取り組む力」
「目的に自分を寄せていく意識」
「適度に臆病で、適度に楽観的であること」
「期待値を想定し、とりあえずやってみる。」
「理解するつもりのない人に対して、見込みのないプレゼンテーションする」
「清濁併せ飲む力」
「ゲスになりすぎずに他者の権利を適度に侵害しつつ多数を満足させ、自分の利益につなげる力」
「給食を適切な速度と態度で完食する、弱点克服力と段取り力」
これぐらいではないですか?

教科、科目なんてものは、上記の力を身に付けさせるためのお飾りにすぎません。

(小学校中学校では、単位も、留年もありませんよね。それはなぜだと思いますか?
そう、各科目の習得は目的とされていないからです!)

上記の力は、実は「生きる力」に直結します。
すぐに身に付くものではありません。
また、意識させないと、一生身に付きません。

関連リンク
correct-me.hatenablog.com
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp
www.asdadhd.jp