「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

新一年生の壁~価値観を踏みにじられる恐怖

新一年生の4月。
大人にとっては、就学年齢の4月から小学校に通うのは「当たり前の認識」です。

しかし、当たり前を当たり前のまま共有する機能を搭載していない、理屈っぽい子どもにとっては、はい入学、はいお友達と仲良く、と押し付けられるということは、出会った瞬間に6年間の結婚生活を義務付けられるぐらい、無茶苦茶に感じることです。

入学式。
はじめまして、から、長いお付き合いが始まります。
無理矢理いっしょくたにされた子ども同士の自我がぶつかり合うのです。
家を背負った大人同士のお見合い結婚のような生易しいものでは、ありません。


また、進級すると、担任の先生も、その背景も変わります。
人間そのものはかわらなくても、「モード」が変わります。

子どもにとって、担任が変わるということは、大人にとって上司が変わることよりもずっと大きな価値観の危機を意味します。

(上司や所属が変わるたびに、数多くのマイナートラブルに遭遇タイプの方を知っている、あるいは、親御さん自身がそういうタイプ、という方もいらっしゃるでしょう。)

特に、親が意図してか、せずにか、狭い世界観のなかに暮らしている子どもにとって、担任が変わるということは、天変地異になり得ます。

誤解を恐れずに申し上げますと、ある日突然「今日から、学校における預言者も、おうちにおける預言者も、大切に崇めましょう」と言われるようなものかもしれないということです。

へぇそうなんだーはぁい、あるいは、知らね、といった体で困惑しない子もいますし、既に家庭で価値観は人それぞれ持っていて価値観の数だけ正義があると修得済みであればよいのですが、

発達障害寄りの子にとっての予備知識なく突入すれば、浮きこぼれも落ちこぼれも、大困惑します。
放置により成長する可能性もゼロではありません、でも期待値の低いギャンブルです。


属する集団のリーダーによって、リーダーと集団が問題視するポイント、善しとするポイントは変わります。
預言者によって異なる戒律、どちらを守るべきなのか、という判断を6-7歳の子どもの判断に委ねると、誰も幸せになりません。

特に、理屈っぽい子どもは苦しみひねくれるだけでメリットがないのではと私は思います。


ひねくれ方を最小限にするために、先生の価値観と、親御さんの価値観は違うということを、早めに教えたほうがいいケースが多々あると感じています。

一般的には、先生の悪口を言うな、先生を否定するな、と言われます。

それを、先生を絶対視することと勘違いしている親御さんがたくさんいらっしゃいます。

悪口を言わないことと、絶対視することは、全く違うと私は思います。

価値観はそれぞれ違い、それぞれの誠があるのだという形で、「親も先生も絶対的な存在ではない」と知らせておかないと、育てにくいお子さんはどこに帰属すべきかわからなくなってしまいます。


次回は、異教徒に囲まれた地雷原で、でいかに生き残るかを綴ります。
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