「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

新一年生の壁~価値観を踏みにじられる恐怖

新一年生の4月。
大人にとっては、就学年齢の4月から小学校に通うのは「当たり前の認識」です。

しかし、当たり前を当たり前のまま共有する機能を搭載していない、理屈っぽい子どもにとっては、はい入学、はいお友達と仲良く、と押し付けられるということは、合意無しに始まるいきなりマリッジ2のようなもの。出会った瞬間に結婚生活を義務付けられるぐらい、無茶苦茶に感じることです。


入学式。
はじめまして、から、長いお付き合いが始まります。
たくさんの子ども同士の自我が、無理矢理に一ヶ所に集められ、否応なしにぶつかり合うのです。
考え方によっては、全方位、敵とゲリラと裏切り者に囲まれてるように感じますよ。

新入学に比べれば、親の仕組んだ政略結婚のほうがよっぽど人道的です。まだメリットわかりやすいもん。


また、担任の先生も代わり、その背景も変わります。
進級のときは先生という人間そのものはかわらなくても、「モード」が変わります。

子どもにとって、担任が変わるということは、大人にとって上司や所属が変わることよりもずっと大きな価値観の危機を意味します。
程度は学校にもよりますが、 各学級が独立した独裁国家みたいなところがあるので…。

特に、親が意図してか、せずにか、狭い、閉じた、1パターンの世界観のなかに暮らしている子どもにとって、担任が変わるということは、天変地異みたいなものです。

誤解を恐れずに申し上げますと、ある日突然「今日から、学校における預言者も、おうちにおける預言者も、大切に崇めましょう」と言われるようなもの。
あるいは、「はい神死んだ!今神死んだよ!これからは先生が神ね!」と言われるような衝撃。

へぇ/そうなんだー/はぁい/知らね、といった体で流れる雲のように受け流し、困惑しない子は当分大丈夫でしょう。

「価値観は人それぞれ持っていて価値観の数だけ正義がある」と家庭で修得済みであれば、さらに安心です。
思い込みの強い、発達障害寄りの子が、この予備知識なく突入すれば、浮きこぼれも落ちこぼれも、大困惑するでしょう。

もちろん、親が一切解説せず、放置されることにより気付き、学び、成長する可能性もゼロではありません。
まあでもぶっちゃけ期待値低いギャンブルなので。子どもでギャンブルするのは基本的にやめてあげてね。


属する集団のリーダーによって、リーダーと集団が問題視するポイント、善しとするポイントは変わります。
預言者によって異なる、複数の戒律、どちらを守るべきなのでしょう。
この判断を6-7歳の子どもの判断に委ねると、誰も幸せになりません。

特に、理屈っぽい子どもは、苦しみひねくれるだけ。メリットがないです。


ひねくれ方を最小限にするために、何をすべきでしょうか。

私は、
「先生の価値観と、親御さんの価値観は違う」「価値観はコレクションカード。集めて楽しむもの。」ということを、早めに教えたほうがいいケースが多々あると感じています。

一般的には、先生の悪口を言うな、先生を否定するな、と言われますね。
これ、先生を絶対視することと勘違いしている親御さんがたくさんいらっしゃいます。

悪口を言わないこと・否定しないことと、絶対視することは、全く違いますよ。

価値観はそれぞれ違い、それぞれの誠があり、潰し合うものではありません。
「親も先生も絶対的な存在ではない、そしてあなたも」と小さいときから繰り返し知らせてあげましょう。
親、あるいは先生を絶対的な存在だと思い込んでしまうと、必ず、それらに代わる絶対的な存在を求めてさ迷い続ける苦しみに陥ります。
どこに帰属すべきかわからなくなってしまうのです。

独裁者タイプの先生の言動への不満は当然です、ゆめゆめ先生を絶対視などさせませんように。

でも、
先生憎し、親尊し、一辺倒も、いけません。
子どもの価値観で考えたら?
親の価値観で考えたら?
先生の価値観で考えたら?
先生の上司、先生の家族、先生のお母さんの価値観で考えたら?

価値観は、混ぜると濁る水彩絵の具ではなくて、カード/油絵の具/ミルフィーユ、みたいなもので。
集めたり重ねたりして楽しむものです。

いわゆる「ハズレの先生」も、小学生ならラッキーカード。
親子で相手の心理を分析して、こっそり上から目線で楽しみましょう。



次回は、異教徒に囲まれた地雷原で、でいかに生き残るかを綴ります。
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