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続きです
淘汰があった時代
昔は、自然淘汰がありました。
ほとんどが自然妊娠、それも淘汰です。
栄養状態や衛生環境が悪い、これも淘汰です。
自然出産が基本、これも淘汰です。
淘汰を助けてくれる産婆さんもいました。
「産婆は、出産の状況と抱き心地、目付き、反射などから、出産後すぐに異常がわかることがあった。家庭の状況を鑑みて、神のもとに戻した。」
これは、見てわかる大きな障害に限った話ではありません。命にかかわる障害であれば、天に帰したでしょう。
生まれ方が変で、おかしな抱き心地で、おかしな目の動きをし、おかしな指の動きをしている子が、養う力のない家に生まれたら、それは、命にかかわることだったはずです。どうしていたでしょうか。
貧しい時代(国)の貧しい家に生まれていたら、うちの子も、私自身も、間引き検討されていたと思います…悩みもあるけれども、現代でよかった…と思います。
生きる力が足りず、神様のもとに戻されたケースは全ての妊娠のうち、20パーセントはあったはずです。
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事故や病気で亡くなる幼児の割合も、今より多かったです、これも淘汰です。
私の親族でも、塀から落ちて頭部変形、木から落ちて頭部強打、車にぶつかる、友達と激突して集中治療室送り、ゲート見ずに車道に飛び出そうとしゲートに激突することで車に轢かれずに済む、お風呂に飛び込み大量出血、等々ありました
かく言う私も、自宅の階段から複数回落ちています
事故現場を早期発見できなかったら…医療が施されなかったら…男性親族の何人かは淘汰されていたと言えます。
1人の母親が産む子どもの数が多く、なおかつ情報が乏しい時代には、1人や2人早世しても、その悲しみに浸る暇も、原因を分析するためのデータを集める術もありませんでしたので、淘汰された子は、家族の胸の奥深くにしまわれ、社会的には居なかったことになりました。
たくさんの人と出会うことができ、「存在」が認められたのは、淘汰を潜り抜けた人材だけでした。
「昔は、こういう子も、みんな、普通に成長した」という主張も、ある意味正しいのです。
「※ただし、幼児期までに一定の淘汰を乗り越え、地域社会に存在が認められた人に限る」
と脳内で補足すると、わかりやすくなると思います。
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現代の日本では
現代の日本では、淘汰は起こりません。優生保護法はなくなり、母体保護法になり、淘汰はすっかりなりをひそめました。
出生前の人為的な淘汰は命の選別だとして、望まぬ妊娠・人工中絶以上に、罪悪視する向きもあるほどです。
子どもは、望まぬ妊娠のケースを除けば恐らく、妊娠初期の初期から大切に大切に育まれます。
親からも、祖父母やおじおばからも、我が子として、かわいい孫、甥姪として、ひとり残らずまっとうな成長を遂げ、輝かしい人生を送り、国の未来を「高い位置で」支える存在として暗に期待されています。
子ども時代までの命の淘汰は起きにくい現代ですが、そのぶん淘汰の荒波は先延ばしになっています。
もちろん、本人の伸びる力を信じて放任するのもたくさんある正統派育児法のひとつです。ここはご家庭の判断です。
ただ、お得大好きなおばちゃんは
個人的には、大きくなってから迎える淘汰の荒波を乗り越えられるように、小さい頃から親が手間隙かけて鍛えておくのがお得なのではないかと考えています。