「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

クラス編成会議

学級数が複数ある学年の話です。

クラス替え前の年度末(3学期)にクラス編成会議が開かれる学校が多いです。
※純粋に成績順位が分散するようにするケースもあります


クラス編成会議では、子どもの属性を想定してクラス分けをします。
さまざまな手法があります。

保護者が聞いたらビックリするような毒舌だとか(笑)
「うわ、この子とこの子は、つるんでいじめしそう」
「あー、確かにやりそうですね。離しましょう」
とか
(この親、長女のときに担任したけど苦手…扱える気がしない…一見まともだから新任ちゃんに押し付けちゃえー)
(むむむっベテラン先生、いいとこどりじゃねーか)

なんて、心理戦が繰り広げられているのです。
いろいろ一筋縄では行かず、遺恨も残りかねない心理戦の果てに出来上がる新クラスですが、まるで無作為にクラス替えしたかのように思い込まれている、摩可不思議な大イベントです。


ここではとある公立小学校を例にとります。

クラス編成の方法

「担任の管理能力の中になるべく収める」

苦情が集まりやすい子、たとえば他害の目立つ子は、腕に覚えのある先生のクラスに。
ただ、ほめて育てることが主流となった現在、個性も価値観も多様化し、集団に収まりきれない子が増えています。
そのため、無能でも難しい子を複数持つことになります。
「誰が一番難しい子なのか」の見立てを間違うと、実質ナンバーワンツースリーのキャラ濃い児童や生徒を無能担任が抱えることとなり、大人も子どもも大変です。

他害同士を同じクラスにして仲良く喧嘩させ、他の子(特に、受け身、注意欠陥タイプ)を守るというクラス分けも素人おばちゃん目線ではありだと思うのですが、ばらけさせることになっているようです。
恐らく子どものためではなく、担任の負担が偏ることによる不公平感をなくすためでしょう。

「スポーツ、学習、音楽、それぞれの能力者が1クラスに偏在しないようにする」

最初にこちらを割り振る手法もあります。
集団の目標となる存在は、遍在させないのが通例。
足の速い子3-4人固めたほうが、上位個人の能力はぐんと伸びるのですが、学校教育は集団のミドルローを下支えするものですので。

「クラスの総合力に差がつかないようにする」

テストの点数、成績表のスコアなどを元にします。
スポーツの力は、体育の成績ではなく、数値化しやすい走力をベースに判断することが多いでしょう(まあ強い相関があるのでどっちでも大して変わりませんが)。
クラスの上何パーセントに大変よいをつける、などの評定ルールがある自治体ではここを重視しそうですり

が、実は子ども側への配慮ではないようです。近いレベルの子がいた方が話も合いますし、小学校の成績表なんて、筑駒中、筑波中、順天堂大学医学部志望以外は大して気にする必要はないです。
天皇家に嫁ごうとか皇族をお嫁にもらおうとする時だって、好き合ったらそれまで。
小学校の成績というのは、高校受験つまり人生を揺さぶる内申という価値世界に慣れておくためのものです。
「モヤモヤするけど付いてしまったものは仕方がない」、と6年かけて刷り込んでくれているのです。これは、教育委員会の優しさです。

小学校の成績表とは今のうちにモヤモヤしておこう、という性質のものなのですから、公平である必要はなく、各クラスに優秀者を分散させるのは子供に対する公平性のためではありません。

担任同士の公平感への配慮です。
優秀な子は外部で賞を取ってくることが多いです。
学校経由でエントリーする青少年読書感想文全国コンクールや科学コンクールで賞でも取ろうものなら、担任と学校の実績としてカウントされることになります。

「学校独自の価値観を基準に、ばらけさせる」

例えば、公立小学校の英語推進校では、英語スキルもクラス間で差がつかないようにと配慮する事が多いです。つまり帰国子女はバラけさせられやすいです。
※私立国立など、帰国子女を優遇することで大学合格実績を稼ごうとする学校では敢えて1-2ヶ所に固めて伸ばします。

「子ども同士、保護者同士の相性」

ここは数値化できないため、担任その他の主観で決まります。
一緒にいると化学反応を起こしてお祭り騒ぎ、またはけんかになってしまうというような組み合わせは分けようとします。
べったりいつも一緒にいる子たちはばらけさせて世界を拡げさせようします。

ここで気になるのが、先生が把握していることと、実情が異なるケースです。
正直、先生には表面上の付き合いしか見えていない場合が多いです。
定型高学年女子ともなるとうまく本音を隠せるので、先生にはわかりません。無理ないです。話の通じる先生に「クラスを離して下さい、いつも一緒にいますが、毎晩悪夢にうなされています。好きになる努力はしましたがもう限界です、お願いします。」と伝えておきましょう。

友達が極端に少ない子は特に心配です。先生の思いやりで、数少ない、よく一緒に遊んでいる子と同じクラスにすることがあります。つまり、野比くんは友達がいないし心配な子だが、放課後剛田くんのチームで野球に参加できているらしい!じゃあ同じクラスに!と思い立つわけです。
内心、嫌々付き合っていて今にも病みそう、なんてことは先生にわからないですし、わかっても、他の事情を優先してしまうことも多いです。


ここまでが学校の都合です。


クラス編成に親が口を出すとき


ジャイアンとスネ夫、スネ夫とのび太、ジャイアンとのび太、のようなねじれた上下関係は、先生からは「じゃれあい」「人間関係の練習」と見なされることがあります。
特に、ジャイアン(他害あり、自他の境界が曖昧でクレーンや「お前のものは俺のもの」な言動が見られるなど)は苦情が多いですよね。

手広く他害をする場合、「同じクラスにしてOKな子が少ない」という状況になります。
そこで、苦情を言わない親子は優先的にジャイアンのいるクラスに割り振られます。

では、苦情と共に「ジャイアンと離してください」と言うべきなのでしょうか?
いいえ。子ども時代は親という支えがあり、嫌な思いを経験し乗り越える経験のできるとても貴重な機会です。なんでもかんでもトラブル回避!という考え方はおすすめしません。

保護者としての経験を踏まえた推測ですが、ジャイアンのクラスはお得なクラスです。
ジャイアンに苦情を出さない「落ち着いた子、冷静な親」が割合多くなるはずだからです。

多様性が保たれつつも、ジャイアンにだけ気を付ければ比較的暮らしやすいクラスとなる可能性があります。

闇雲にジャイアンクラスを避けると、親も子もいちいち苦情の多い、細かい、めんどうくさい、うるさい、被害者意識の強い子が集まっているかもしれません。

もちろん
暴力でトラウマが残っている、長年粘着されていて意欲をなくしている、恐怖で萎縮してしまっている、など、成長が阻害されている状態であれば、別です。
学校側に、理由と共に「できれば、あの親子と違うクラスにしていただけたらありがたい」と伝えることを考えましょう。

「あの子と離して」より「あの親子と離して」が優先

小学校は、「子ども同士の相性は流動的であるべきで、かつ、流動性を持たせることができる」という考えが根底にあります。

しかし、親同士のトラブルについては深刻化を忌避します。
担任の介入する余地はなく、知らぬうちに大抵溝は深まり、下手するとクラスの保護者たちが関ヶ原の合戦状態となり、担任がクラスの全保護者から突き上げを喰らう、なんてことがあるからです。

このような事態は学校としてもなるべく避けたいわけです。

ですので、子ども同士が仲が悪いということよりも、「親同士の相性が悪くて一触即発なのです」と伝えた方が希望が通りやすいです。


クラス編成に関して嘆願する場合、申し出るタイミングと、お願いする態度に気を付けましょう。
1月末まで、3月終業式まで、受け付けない、受け付けるけど忘れちゃう、等様々です。

繰り返しになりますが、クラス編成は親子のためではなく、学校の都合で行います。そこに個人の都合を持ち込むことは、ゆめゆめ「当たり前の権利」ではありません。

「無理を承知で申し上げます、次の学年では、あの親子と同じクラスにしないでいただけませんか、そのようにしていただければ安心して進級できるのですが」位のスタンスでお伝えするのが筋です。

ダメ元で。でもさりげなく念を押す

先生は忙しく、また、一般企業と違う価値観のなかにいるため、要望を「わっかりました!」と快諾しておきながらすぽーんと忘れることもあります。

先生のプライドを傷付けない範囲で、先生の記憶力に応じて、適宜、リマインドを促すのもコツです。

また、クラス替えのときに担任は変わることも多いですよね。「後は野となれ山となれ」とまではいかなくても、わざわざ他先生と議論してまで、イレギュラーな要望を聞いてくれるかどうか?これは運です。


上述のような大人の事情が複雑に絡み合っている上、子どもの属性も複合的であったり人材不足人材過多。
クラス編成には、さまざまな事情があります。
期待しないようにしてくださいね。

ここでの要望とは、特別扱いを求めることです。しつこいようですが、当たり前の権利だと思わないことです。

一家庭の利益のための要望ではなく、共存共栄ための進言、というスタンスでお伝えした上で、天命を待ちましょう。

クラス替えで成長するために心の準備を

これも繰り返しになりますが、社会性が年齢相応より低すぎる(あるいは高すぎる)子どもが、大勢との人間関係を学べる期間は思っているよりもずっと短いです。

社会性の凹が目立つけれども健常者としての人生を歩んでいくべき「もしかして」の子は、いつまでもゆっくりぬくぬくしているわけにはいきません。

「普通の子」の集団が持つ生々しい残酷さに触れながら、保護者に勇気をもらったり、変わった習い事や塾で仲間を得たりしながら、急いで精神的なベースを確立し、急いで「普通」に乗り込んでいかなくてはならないのです。

※環境差や個人差により、「普通に合流」するのは中学以降からでももちろん大丈夫なケースはあるのですが、
一般論として、年齢相応の社会性を身につけた「普通」の子どもたちは、高学年、中学生、高校生にもなりますと、何らかのメリットがなければ社会性の低い、承認力の弱い子には敢えて絡まなくなります。

社会性の遅れた(進みすぎて閉じた子を含む)子同士でゆっくり集団生活を学べる環境があればよいですが、開成や桜蔭のような環境は容易に手に入れられるものではありません。

「絡まれなくなる」ということは、平和なようですが、「誰とも関わらなくなる」のはじまりにもなり得ます。


クラス替えで、問題の多い担任、困難の多いクラスになってしまったら、その年は、正論は脇に置いて、強者主導、多数派主導のコミュニケーションを学ぶ年度だと割り切る勇気を持つ、という手もあります。

学校というのは、それそのものを目的とする必要はないのです。
進学、就職、仕事、転職、転勤、転居、PTAなど不特定多数との人間関係に備えての練習、失敗経験用施設のようなもの。

失敗して学ぶほうが 失敗しないで学ばないよりずっといい、という性質の期間です。
もちろん失敗しないで学べれば楽ですが親もそれなりに失敗しながらやって来たのだよと具体的に話してあげると安心できて、気負いすぎによる失敗が避けられます。
小学校での困り感を学びにつなげる訓練を家庭ですすめれば、先々がぐっと明るくなります。

クラス替えに夢を見るから絶望する

間違っても、現状クラスで友達がいない子に「クラス替えで友達できるよきっと!」などとその場しのぎの定型用語を繰り出さないであげてください。
夢を見ると、絶望したときのギャップに苦しみます。

理屈っぽい子なら

「友達は自動的にできるものではない。双方向性がある。距離感を探りながら、寄せていきたいと思えるか判断をし、この子になら寄せたいと思ったときに、たまたま向こうもその意思があって意思疏通ができたら友達っぽい雰囲気に一時的になるというもの。
長く続けるには、お互いに寄せていくという努力を続けるか、ソウルメイトのような存在であるか、利害が一致しているか、適度な距離感がありお互いを束縛していないか、などの条件が合致し続けている必要があって、簡単なことではない。
ちなみに、こういうとき、定型同士だと、大丈夫だと思っているかどうかは別として、大丈夫だよクラス替えで友達できるよきっと、といったテンプレートで励まし励まされるものというお作法があるので覚えておくように」
こんなレクチャーが有効な子もいるかもしれません。



おまけ

あの担任のクラスにしないでほしい、という要望は、スクールカウンセラーよりも、直接管理職に言うのがよいです。スクールカウンセラーの発言権は弱いことが多いからです。
もちろん校長と懇意にしていて、ツーカー、というカウンセラーさんもいらっしゃいますので、そこはよく見極めましょう。

無能だけど威張っている校長は保護者にいい顔をしたがるので、どうしても通したい要望はいきなりその校長、というのもありです。まぁあまりアンチの多い校長にすがると他の面倒が起きるかもしれないので、バランスを。


あの子と仲良しだから/家が近いからなどの理由で、同じクラスにしてほしい、という要望は優先順位が低く、とても通りにくいです!!
個人の利益に繋がることは、してはいけないルールだからです。