「もしかして発達グレー研究所」愛されキャラに育てよう!by QOLT

生きにくい、だけど自力で生きるしかない「もし発」。己を知り、定型を知れば百戦危うからず!

担任がいじめをすると、クラスがまとまる怪奇現象

学校で、担任から、とにかく怒られる子がいます。
みんなでやらかしてもなぜかいつも最後まで槍玉にあげられる、
悪さしてないのになぜか悪さした子より叱られる、
明らかに「担任から嫌われている」、
そういったタイプのお子さんはいませんか?

パターン記憶による危機回避能力向上訓練が有効であるケースかもしれません。

いわゆる社会通念上仕方のないとされる制裁レベルを明らかに超えて、
大の大人である教師が子どもに不当ないやがらせ、言いがかりをするシーン、実際に遭遇します。


人間的な魅力や統率力によるクラス運営を諦めた教員が、該当児をスケープゴートにして、他の子達を恐怖支配するという仕組みは、平成が幕を閉じようてしている今でも、普通に残っているのです。


担任によるいじめのきっかけは、忘れ物であったり、正論つぶやきであったり、持ち物であったりと多様です。
単に腹立ち紛れに一人をどやしたら、周りがびびびっと襟をただしたので、先生が味をしめた(誤学習した)、というケースもあります。

※小学校時代にパワーハラスメントを行う担任に当たることは、レジリエンスを身に付ける上で、とても大切で、体罰や愛の鞭が葬られた現代においては貴重な経験とも言えます。

ただ、保護者が対応を間違えたままですと、お子さんの心が傷を負いっぱなしことになることが多いようです。

保護者が冷たく突き放せば、たくましく成長する可能性もありますが、心の拠り所なくさ迷う可能性も上がります。
保護者が受容したり「寄り添う」という行為にこだわると、お子さんによっては承認欲求と自己愛が肥大し、不平不満を言えば優しくしてもらえる!と思い込み、かまってちゃん、さらに言えば境界性人格障害の方向に育ってしまうリスクが発生することもあります。

心の傷をゼロにしようと思わず、早め早めに治しながら、治す方法も親子で試行錯誤し、先生側ではなくお子さん側の成長を促したほうが、予後がいいのではと思います。



具体的には状況を見るほかありませんが、
「問題行動を頻繁にするわりには 執拗に叱られ続けることがない子」を参考にするとよいでしょう。

典型発達(定型)の多くは、叱られたときに有効な、神妙な表情は、教わらなくてもできます。

特性なのか、ふてくされる気持ちを顔面でドーンと表現して、「反抗的!!」「反省していない!!」と目をつけられてしまう子がいます。
ASDグレー男子小学生、特に低学年ですと、ほぼ全員と言っても過言ではないかもしれません。

日頃から教えてあげる必要があります。

目の細め方、伏せ方、目を見るときの目、口の形の変え方、首等の角度の調整の仕方。
先生の顔を見て、何度でも、謝る。3回に1回、言い方を変える。
親子で、落ち着いた気持ちのときに、ケーススタディを積みます。

目を細め、顎をひき、自分の鼻を見て、口を閉じて下顎に寄せる等、大人がやってみせ、工夫して真似してもらい、楽しく覚えてもらいます。

誤解を恐れずに言えば…、謝るという演劇、の境地であってもよいくらいです。

演劇というと、劇団四季ばりの「ごーーーぉめんーーーなさぁーあああいーーー」を想像してしまうとしたら、それはだめですよー。


恐らく、悪さをするけれどあまりしつこく叱られない子は、「ご免なさいで済むと思っているのか!」と言われたら、ご免なさいですむようなことではないと思っています、ごめんなさい、ごめんなさいもうしません、悪いことをしてしまって後悔しています等と言い、
どやされている間は、「目を見ろ!」と言われない程度に下を向きながら、次になにするべきか、先生の期待する展開はどのようなものか、を考えているわけです。

このようなスキルは、一般的には叱られる中で身に付けていくものです。
しかし、定型社会適応性、いわゆる社会性の低い子の場合は、平常時に、親子の訓練で身に付けておくべきスキルです。

考えさせるというより、手取り足取り教えたり、選択肢を選ばせたりしながら、共に構築すべきです。

園などの集団に入り、親から離れる前に、必ずやっておいてほしいと思います。
どうしても早くから園に入るのであれば、園に入ってから、なるべく早く身に付けさせてあげてください。


考えなさい、と言われると、思考停止するお子さんでしたら、
考えなさい=選択肢を思い出しなさい、という意味だと思うようにすると、それなりの選択肢を浮かべ、それなりに無難な判断ができるでしょう。
※選択肢を思い浮かべる力が弱ければ、選択肢の仕込み方を工夫してください。お子さんに「なぜわからないの!」などという謎爆弾をぶつけないでくださいね。


肝心の選択肢を思い出すためには、まず、嵐の中で心身を守ることです。
脳の負荷を認識し、負荷の正体を分析し、負荷を緩和するためには、「反省してると相手に思わせる態度、姿勢」をとることを軽視するわけにはいきません。
嵐の最中に、自分の正当性を主張するのは、無謀です。

無理矢理たとえるなら、毎朝庭を掃いているからと嵐の日も庭を掃く、これくらい無謀です。
燃え盛る自宅に、素人が金庫を取りに戻るようなものです。
愚行です。

「だって悪くないもん。悪いことしてないもん。悪くないのに謝るなんておかしい」と言うのなら、
善人にも、聖人にも、理不尽さをうまくかわす力がなくては悪人扱いでギロチン行き、という歴史上の具体例を示すのもよいかもしれません。

「それでも地球は回っている」とか言ってないで、持論を引っ込めて、間違えましたーと言って、こっそり研究続けたほうが賢明だったんじゃないの、という考え方です。

有能な人だからという理由で狙われるロジックさえあるのです。
踏み絵を踏まずに殺される命より、逃げたりおもねったりして器用に(狡猾、まで行くと嫌われるのでバランスが難しいけれど)生き抜いた命のほうが尊いという考え方もある、と気付けるように伝えます。

某国の歴史でも話してあげると、お子さんによっては気付きがあるかもしれません。

学校は、「正義ならば身を守る必要はない、悪は滅ぶ、というロジック」が通用するようなお花畑世界では決してありません。

まして、
無能な担任による恐怖支配下では善悪基準にこだわるとあっという間に孤立します。こうして、担任主導のいじめ体制、担任独裁制が成立します。


我が子の未来のため、親御さんも踏み絵はさっさと踏みましょう。踏んでから反省すればよいのです。

盗泉の水なんてダメーなんて、無意味な意地はらずに、脱水で死ぬ前に飲みましょう。


綺麗事や善悪もそれなりに大事だけれども、それだけでは生き抜けないこともあるのです。
普通は、暮らしているだけでなんとなくわかっていくこのバランス感覚が、
もしかして…の子どもや大人は分かりにくいものです。特に、強いストレス下では、特性が全開になります。

危機的状況においてはローカルルールは度外視して、黙って多数派に寄せていけ、踏まねばならぬ踏み絵は多数派とともに踏め、というサバイバルシーン向け行動規範を子に持たせる勇気、柔軟さを、保護者が持ってみてはいかがでしょうか。

いろいろな考え方の例を与えながら丁寧に接していきますと、発達凸凹であっても、ぎこちないながらもバランスをとれるようになります。

社会性が弱いのに、美しい理想と理念の中だけで育てられた子や、逆に、食うか食われるかの価値観の中で生きてきた子は、バランス感覚に乏しくなりがちです。

しかし、親が手間隙をかけ、さまざまな考え方の存在を知らせながら育った子は、ルール無視した集団の残酷さにさらされても比較的安全です。

「ああ、また絡まれた。
まあよい、このケースで選択すべき言動は、神妙さの演出と、憔悴してる演技だな。」
「目付きと口もとの形にこの先生は過剰反応するから特に気を付けよう」「最後はゴメンナサイモウシマセン、ホントウニモウシワケアリマセンデシタ深々~、で締められるかな」等と冷静に対処できるようになります。
また、学校でひどく叱られることを前提として、嵐のかわしかた教えてくれる親に対しては、深刻な事態になる前に「こういうケースはどうしたらいいか?」と親に聞けるためです。



※繰り返しになりますが、普通の子は、日常生活の些細なことから自動的にゆるーく学び取りますので、親御さんは一から十までプログラムしようとしないでください、反発で逆に行くこともあります。