「もしかして発達グレー研究所」 凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

体罰が療育だった時代

体罰はいつから絶対NGの風潮になったのでしたかね。

ついにと申しますか、2020年4月から、家庭での親による体罰も法律で禁じられることになります。

 

体罰は良いことか悪いことかと言えば恐らく悪いことなのでしょう、マクロで考えたらね。

でも、個々のケースで言えば、どうでしょう。

 

必要悪という側面が、絶対になかったどうか?

あったかもしれません。

機能せずダメージとしてしか残らなかった体罰も、機能した体罰もあったでしょう。

実際にあのとき殴ってもらって本当によかった、殴られなければ気付けなかった、と言う人もたくさん、たくさん、います。

 

知人のASD風味ADHD風味の方の経験でも、ぶん殴られて吹っ飛ばされた瞬間、歯車がぱちっとはまって頭のモヤモヤがスッと晴れるってことも、あるみたいでよく聞きます。

 

自分語りになりますが、体罰のある時代?家?親のもとに育ちました。

私自身、ASD風味で、きょうだいもハチャメチャだったので、よく親にもきょうだいにもぶっとばされてました。

メンタルが不安定だった頃は、恨みましたよ。憎みました。

でも、安定したら、確かに若い頃に徹底的に直してもらってよかった、ありがたかった、我が家にあった体罰は物凄く不器用だし危険だし明確に通報レベルだったけど、体罰なく自由な子育てを標榜する家の子より予後は良かったと思うように変わってしまいました。

ふしぎなものです。

 

もちろん自分の育った環境を正当化したいという心理が働いているのはあるのでしょう。

 

が、親を憎めなかったら、周囲の人や社会や自分を憎むしかなかっただろうなと思いますし、それは親を憎むよりもずいぶんしんどかっただろうと思います。

 

親が、殴ってくれたから、憎まれ役になってくれたから、 親以外の……自分含めた全世界を憎まずに済んだのでは、ましだったのでは、という状況もあってもいいと思います。

 

私個人について言えば、体罰なしに、優しく諭されていたならば、問題行動を修正出来なかったであろうことは確かです。

殴られたくないから、追い出されたくないから、ご飯がほしいから、

必死で悪癖直しました。

悪癖が直ったら、ばーーーっと世界が広がりました。

親から適度に離れた今は、適度にリスペクトすることも出来ます。

 

自分を責めながら、無意識に親に責任転嫁できていたなと思います。

適度な責任転嫁の感覚って、まぁ崇高ではないですけど、死を選択をせずに済んだ理由のひとつかも、と思います。

 

ASD風味、ADHD風味の強かった親族たちも、それはまぁ盛大にぶっ飛ばされてました。

少なくとも今現在よしとされる教育とはかけ離れた方法で育成されました。 やはり親に捨てられるかもしれないとか殺されるかもしれないという恐怖心があったからか、事故でケガしたからか、それともたまたまかはわかりませんが、

「一生を棒に振りかねない、ハイリスクな特性」を矯正できました。

今は、似た者同士の仲間に愛されたり、世のため人のためになるとされる資格を取ったりして、それぞれキラキラ生き甲斐や遣り甲斐、そしてちょっとしたら諦めをバランスよく味わいながら、がんばってます。

 

 

生殺与奪の剣を握る親に見捨てられる不安は死の恐怖に近いものがあります。

親に死の恐怖を感じさせられ たり、 憎んだりできた、そのため予後がよかった……?

もちろん誰にも因果関係を確かめることは出来ません。

ただ、確かめることができないのは「子どもの心を殺したのは本当に体罰なのかどうか」ということも同様です。

どちらも、確かめようがないのです。なのに一方的に体罰禁止、仕方のないことかもしれませんが、どうなのかなぁと思っています。

 

 

今は、社会が許しませんけれど、

………親が

…体罰や洗脳という罪を背負ってでも

…痛みとともに

…叩き込んでやらねばならないときって、

無いとは言い切れないのではないか

 

と、漠然とですが思います。

 

家族やたくさんの親戚や知人の話、仕事で出会った方々のことなどであり、

科学的な根拠、統計学に基づく根拠はひとつも有りませんけれども。

 

 

繰り返しますが、体罰は、心理的な悪影響を与えるとして、統計上は明らかにされています。

「命の危機を感じるような精神的刺激か肉体的刺激を受けると、脳が萎縮する、成長が止まる、という反応をするから体罰はダメ」、これは近年親になった人々はみな、既に耳にタコができるほど聞かされていますよね。

 

体罰が心の傷になるかどうかは、人によります。

さらに言えば「子どもの人生のデザインが定まってきた今現在、親子関係が良くてハッピーかどうか」によるのではと思います。

 

ちなみに、関係が悪くてアンハッピーなときは、どんなに適切とされる対応をされていても、ダメなんです。

 

かつてある小学生が呟いてくれたように

「保育園の時からずっと、(怒りを必死で抑えた)大人たちが自分を教え諭そうとするのを、いつも茶番だとかバカにされているとしか思えなかった。

本気なら本気で言えと思っていた。

怒っていることを隠してるつもりなのか、バカじゃないの?と思っていた」

みたいなことにもなるわけです。

 

好きじゃないなら、優しくされたって好きじゃないんですよ、うざいだけ。底の浅さを見切られるだけ……(子どもスゴすぎ)

 

 

毒親に体罰されたから親子関係が良くない、という人たちの人生を聞かせてもらいますと、

 

そのためにかえって親以外の、合う人と繋がれた……

どうにかして親元を離れたい、親みたいになりたくない、という一心で頑張れた…

 

ってことが明るみに出ます。

 

それなら、おかしな言い方ですが、 体罰が役に立ったと言えるのではないかと思わずにいられません。

 

 

体罰を受けた子は既存の脳が萎縮してしまうという研究がありますが、

それは高すぎる機能の凸がなだらかになることも意味していたと考えることができないでしょうか。  

 

小児期までの体罰(死の恐怖)による脳全体の萎縮、機能低下は、

後天的に発達する脳、つまり社会性(調整力)や自制心などを司る前頭葉が発達する余地を作ることにつながっていたかもしれません。

 

(科学的根拠はありませんが、自殺を企てた人のなかには九死に一生を得たあと、前よりも条件悪くなってるはずなのになぜか鬱が軽快して小さな幸せを見つけられるようになった、みたいなことがしばしば起こります。

もちろん、2度目で完遂してしまう方も、いらっしゃいますが……)

 

体罰や大きな危機によって脳のバランスがとれて小さくまとまるのだとすれば、

脳の活動過剰で不適応を起こしている、先天性の性質を持つ人(高機能のASD ADHD等)にとっては、痛みや恐怖は、プラスマイナスの結果プラスの影響があったのではないのでしょうか?

 

 

ほかに手段がなかった時代は、発達に偏りを抱えた子の多くはこうして文字通り叩き直されたり(弱者に八つ当たり暴力の連鎖をしたり)淘汰されたりしたのではと私は考えています。

 

 

あなたは、体罰したことありますか。

 

体罰ダメと言われて久しい現代では、体罰してしまった、絶対いけないことなのに、と後悔なさったり、いつか体罰して取り返しのつかない心の溝ができるのではないかと思い悩んだりするのも無理はありません。

これからは、体罰が「まれに起こる悲劇的な育ち」として クローズアップされて、体罰を受けた=絶望的な育ち、と思い込む子も増えていくでしょう。

 

現在、ざっくり35歳以上で精神科や心療内科、臨床心理の門を叩く方の多くが、教育熱心な親に叩かれたか、追い出されたか、あるいは、親が教育責任を放棄していて放っておかれたか、 されてます。

でもそれは、

「体罰 虐待されて育った人で今苦しい人、クリニックにあつまれー! 」というサインが発せられているからなのではと思います。

 

体罰以外の方法で指導すれば病まずに済んだのだという証拠にはなりません。

私は、「犯罪者は犯罪当日の朝、水を飲んでいたから、水を飲むと犯罪者になる。水を飲まなければ犯罪者にならない」って言説レベルのナンセンスかもしれないとさえ思います。

 

 

*持って生まれた凸を削る勇気が必要なときがあること、効果的な「痛みと本能を利用して、わからせる方法のメリットデメリット」と向き合うこと、そして親としての原罪を背負うこと

 

公的な療育では決して語られない、保護者による発達障害児に対する体罰。

当方では、発達障害児の社会適応に成功させた保護者のが行っていた体罰、不適応に至らせた保護者の体罰を分析して、一定の傾向を見いだしております。

 

親として、平常時に、体罰の功罪を学びましょう。

体罰がプラスになるのはどんなケースなのか、を知っておきますと、いざというときにも落ち着いて行動を選択できます。

身に付けていただければと思います。

 

もちろん、体罰は暴力であり、もうすぐ親子間でも犯罪となりますし、

「体罰受けた子=かわいそう、病んでる」みたいな社会的レッテルによって子供の心にぐっさりと突き刺さって抜けないトゲになる可能性もあります。

 

発達障害のお子さんの育成は、責任持って行う親御さんほど、 本当に苦しくて苦しくてどうしていいのかわからなくなるものです。

いつもモヤモヤは晴れず、晴れたと思えばまた大雨。

終わりがないように感じられて、死にたくなる……それぐらい心疲れますよね。

 

責任感フルで感じてる親ゆえの、尊い辛さ、尊い悲しみだと私は思います。

おばちゃんと、分かち合いませんか。

ご相談お待ちしております♥️

 

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