「もしかして発達グレー研究所」凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

「もしかして発達、の登校渋り」大切なのは居場所と役割

こんにちは、ただのおばちゃんです
昨日は食べ過ぎたので今日は控えます

さて、集団に適応できないお子さんを
お育てのお母様が
心機一転 居場所を変えるかどうか
考える会におじゃましました

不登校(登校拒否)にさしかかったお子さんは
渦中にあってストレス大であるため
客観性を失いやすく、社会適応力も向上しにくくなります
(中からの修正ができない)

アドバイスも全部叱責に聞こえてしまいますので
耳ごと捨ててしまえとばかり、聞く耳持たず
(外からの修正ができない)

中からの修正もできず
外からの修正もできず
メンテナンスをシャットアウト
成長見込めなくなります

(五月雨登校状態になる前に、保護者の強権発動で
登校登園の停止措置をとり
その間に学校裏ルールを垣間見せる取り組みを
おすすめすることが私は多いです

不定愁訴を伴う欠席開始直後であれば
えっ?ってぐらい速やかな改善が見込めます

相談のご相談いただくのは
不登校突入後が多いですが、
両親と子がお互いに好きで尊重することができるならば
予後はいいと感じています)


文部科学省が「不登校は問題行動ではない」として指針を発表しました。
末端まで行き渡るには時間がかかりますし、
世の中は良くも悪くも変わっていきます

学校に行くのが「改善」とは限らない、という意識は徐々に浸透してきていると実感します

世の中の意識の変化によって、学校が無理なら、我慢せず、不登校しちゃえ!という後押しが良くも悪くも強くなっていると思います。


内外からのメンテナンスをシャットアウトしてしまったお子さんに対する不登校対応が
注目されています

保護者世代以上の子ども時代には
不登校の解決=元の学校に戻ること、
というのが至上命題とされていましたが
今は違います

学校と一旦、強制的に距離を置くことで
脳の負荷を下げ
次の居場所(人間関係)を模索、設定します
そして、
次の居場所(人間関係)に移籍する前提で
ソーシャルスキルを訓練し直すというものです


学校、家庭等の集団において、
「やらかす子」
「ダメなやつ」
あるいは
「いい子ぶりっ子」
「くそ真面目で面白味がない奴」等とひとたび認定されると、
そこからの一挙手一投足
「好ましくない」と見なされやすくなります

「えっ!意外!」という事件でも起こさない限り、イメージは固定され、指摘や注意を受け続けることになります
(特定の個人のイメージ変更を認識し、周囲が共有するには、相当のコストがかかり面倒なので、多数派が一度抱いたイメージは固定化しやすいです)


超いい子、とか、超悪い子、といったイメージを、
「人畜無害な人」「可もなく不可もなく」という
無難な評価に変えていくのはものすごく大変です


なぜかというと、
学校には
ストレスにさらされた未熟な人間が
たくさんいるからです

サバイバルのために、承認欲求を騙して満足させます
「自分よりだめなやつ」を設定して
マウントするのです
こうして自尊心を保とうと必死なのが
ストレスにさらされた未熟な人間です

(私は、未熟な者としてでも生きてほしいので、下衆なサバイバルスキルも持っていてほしいと思います)


集団内で
「だめなやつ」「めんどくさいやつ」と見なされたお子さんは
ストレスにさらされた未熟な人間を救う人柱という
役割を与えられてしまいがちです

ストレスにさらされた未熟な人たちの
自尊心を守るための
マウント対象として、ストレスの捌け口として
知らず知らず身を削って 大活躍してしまいます


「見下され役」「疎まれ役」がお子さんの居場所(人間関係)における
お子さんの「役割」と化してしまうのです


見下す側は
「ダメなやつに
マウント対象という役割を与える役割」という
歪んだ役割を持つことになります

これらの役割は 「好ましくない役割」です

お互いのために サッと終わりにすべきです


サッと終わらせるには

前述したように
強制欠席措置と
ホームスクーリングで
次への準備をするのみです

要するに、
・家や寺子屋で勉強し、学力を整える
・1対1、異年齢交流から、社会性を身に付け直す
・心の居場所(適切な人間関係)における、健全な役割を担う


五月雨登校と呼ばれる、
行けたり行けなかったりという登校の仕方は
一番立場を悪くしやすいです

「学校行くか行かないか、子どもに決めさせる」という方針の家の登校拒否では、毎晩あるいは毎朝荒れるか、本人の心がメタメタになり、回復が遅れがちです

「登校する気になるのをひたすら待つ」というスタンダードの手法は
集団適応に困難を持つ子どもについては愚策です

お子さんをよく分析してください

ひとそれぞれで、
学校に蹴り込む必要があるなと思われる子もいれば、
1対1から社会通念と裏ルールのバランスの取り方を学び直さないとずっと人間不信のままになってしまうだろうという子もいます


集団に馴染めないからとか、馴染まなくちゃと責務感じすぎて過剰適応の消耗から休み始めたお子さんは
集団に馴染むためのメンテナンスをしないままでは
自動的に元の集団に戻っていくわけがありません


進学を機に気持ちが切り替わる!?

確かに、クラス替えや進学によって、人間関係が変わるというのは、いいきっかけになり得ます。

なんのきっかけになるかというと、
イメージ変更を行うきっかけです。

ただ絶対に忘れないでほしいのは、新しい環境・人間関係には新しい環境・人間関係ならではの、激烈な感情のせめぎ合いがある、という事実です。

不登校になる子は多様ですが、共通点はあります。
夢と希望だけ、または痛みと諦めだけをカバンに詰め込んで進級しようとする点です。
言い方を変えると、光のあたる面しか見ようとしない、あるいは、陰の面しか見ようとしない、ということです。


学校はメンタルバトルロイヤルの場です。
美しいお作法と、薄汚いサバイバルスキル、両方を身に付けておかなければなりません。

美しいお作法とは、「人の気持ちを考える」「個性を大切に」などの感情原理主義が要求するふるまいです。

薄汚いサバイバルスキルは、当研究所の守備範囲です。「トラブルのパターン学習」「承認欲求・価値観に関する知識」「嫌われる勇気と、憎まれない工夫」等々たくさんあります。

過保護だと思われるかもしれませんが、
自立に向けて不可欠な備えです。
車のバンパー・エアバッグ、過保護とは言いませんよね。



「好ましくない役割」が終わるまでの
期間を想定して欠席させるか
転籍などを行うかは、
個々の事情次第です。

いずれにしても同時進行で
・別の居場所(小規模で安全な人間関係)と役割の確保
・次の居場所に向けた、社会性(綺麗事とサバイバルスキルのバランス)の訓練
・学習の補完
を意識して行ってあげてほしいと思います



もしかして発達障害グレー(もし発)でも、
そのストレスのなかでも成長できるタイプなら
長期間居続けたほうが
ストレス耐性にとってプラスです

転籍するか、残るかは、
ストレス量、キャパシティ、メリット、デメリットバランスがポイントです

ここでのメリットデメリットに
「せっかく入った学校なのに、
もったいないなぁ…と思う気持ち」は
絶対に含めない方がよいかなと思います


今後の成長が見込めないお子さんの場合は
「(数年前と比べれば)成長したね」
と言ってもらえる場所(人間関係)として
不登校のまま在籍し続け
つながりを確保しておく方法もありますが、
多くの場合、
学校よりも地元の習い事のほうが適切です

首都圏の学校をとりまく環境は、とんでもなく劣悪だからです


もしかして…の場合
場所を切り替えただけでは
自動的に気持ちを切り替えるとは限りません

場所の切り替えには
人間関係の切り替えが伴います
これは諸刃の剣です

トラブルパターンを習得しておけば、
ゼロまたはせいぜい先入観、第一印象から
新しい人間関係を始められる効果があります

「ドン底役」の場所に長期滞留させることのないようにしてあげてほしいと思います



環境が合わない?

環境が絶望的に合わないだけ、
そういうケースもあります

進学したら、水を得た魚のようにイキイキする
そういう現象がないわけではないです

ただ、同じような行動様式のままでは
またどこかで、同じ理由で苦しみますので
調整を手伝ってあげると
あとあと楽だと思います


他罰的/自罰的など、
自己中心的すぎる、他者優先しすぎる、等の
極端な考え方を矯正し
集団へ寄せる準備が必要です



「個性を伸ばす」「ひとりひとりのために」
「心をひとつに」
美しい言葉を真に受けて、ボロボロになっているならば、ゲスなライフハックを重点的に身に付けましょう

集団は集団です
集団に忠誠を誓った個人は尊重されますが
集団に背を向けたり、
集団を否定し乱す個人を尊重する暇は
残念ながらありません

個人を尊重する集団が必要ならば
喜び組を雇いましょう


学校の先生たちのフォローは
依頼すれば必ずなされるものだと
考える方、多いですが
そんなわけはありません

集団の和を乱しがちなお子さんについて言えば
そもそも
先生が特別な配慮をしようとすればするほど
クラスメイトから疎まれる可能性があります
「何あいつ。うぜえ」
「みんな、やってるのに、ずるい」
こういった現象が起こります


先生が
不登校傾向児を庇えば庇うほど
結果的にお子さんは孤立無援になるのです

このように
集団における「合理的配慮」とは
諸刃の剣です
集団にありながら安易に支援を求めると
風当たりが強まりがちです

ですから
集団に完全に合流できるまで
支援はプライベートで行うようにお伝えすることがほとんどです

集団に合流できてからも
集団からはぐれないように
総合的な判断とケア、サポートをしていきましょう


どんなに頑張りやさんで どんなにまわりが改善を約束したとしても
主となる居場所でみそっかす扱いをされるのは
きついものです

思春期を過ぎて親子の心が離れてしまうと
それまで子どもにとって神であり、
友達であり、恋人であり、支援者であった親が
その役割を担えなくなってしまいます
そんなときは 温かい家庭さえも
居場所として物足りないものとなります

その日に備えて
家庭以外に
尊重しあえる人(精神的な居場所、人間関係)が必要です
尊重し合える親戚を家に呼ぶのもいいですね
理解はできなくていいのです、わからなくても尊重はできるからです。

あなたの考えはわからない、でも、わからないって面白い!こんな人の存在が、なにかを乗り越えるとき、踏ん張るときの心の支えになること、あると思います


人間嫌いに見えても
人間をはじめとした
感情を持つ生物との関わりに
心の居場所がある可能性、高いです


心の居場所と、
生きる役割を見出だす方法を身に付ければ
人生の荒波も乗り越えられると思います

愛されキャラは
心の居場所と役割が見つけやすいのです

愛嬌があれば
人の心を和ませるという役割が
自動的に転がり込んで来ますからね
嫌われず、ゆるされることを通して、嫌わず、ゆるすことを学べます


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